本日も塾は早くから開いています。高校受験生たちは模試を解いています。高校生も期末テストの勉強に来ています。
今では「努力」や「根性」といった言葉は古臭く、あまつさえ悪いものとして捉えられる場合すらあるように感じます。でも私は「努力」することは大切だと思っていますし、勉強の場で高い成果を上げられている生徒は「根性」があるように感じられます。
学校の勉強なんて特別な才能は必要ないと思っています。ただの技能なので、訓練で身に付くものだと思います。しかしそこには、「できるまで理解と演習を繰り返す」必要があり、それを続ける意思が必要です。勉強のできる生徒はその意思が強靭です。それを「根性」、そして続ける頻度や時間を「努力」と呼ぶのだと思います。
それらの性質を「才能」と呼ぶのなら、勉強のできる子には才能があるのだと思います。しかしその才能は、持って生まれたものでもなければ、ましてや天から授かったものでもないと思います。