興味を持つ

恥ずかしい話ですが、私は高校生の時、学校の定期テストの順位が下から数えてTOP30に入ったことがあります。

 

この仕事をするにあたり、きっと役に立つと思ってその頃の感覚を常に忘れないようにしています。その時自分は勉強というものをどのように捉えていたか。どうしてそうなったのか。

 

今となっては、勉強すれば「良いこと」がたくさんあり、勉強しなかった分「辛いこと」に出会うのは経験から分かるのですが、高校生だった頃は経験も無く、考えも浅く勉強した人生としなかった人生を想像して比べるなんて全くできませんでした。

 

それだけでなく、今思い出してみて最も恐ろしいのは、自分の学力に対して「他人事」のようになっていたことです。周りの人より劣っていることから目を背けたかったのでしょうね。テストを受けて自分の個票が返されても、そこにある順位に何の感情も抱かなくなっていました。悔しいも恥ずかしいも、何とも思わない。そこにある数字に対して、「〇〇〇位ね。」くらいの認識でした。自分の上に何人いて、下に何人しかいないとか、その結果から次へどんな行動を起こすべきかといった、大人なら何かしら危機感を感じる場面でも、全くの思考停止でした。自分ですら自分の能力に対して興味を持っていないという状態でした。

 

今なら分かるのですが、この、「誰も興味が無い」というのが成績の上がらない原因の一つです。普通自分の能力は、自分が一番興味を持つものだと思いますが、それを捨ててしまっている状態。体が少しづつ腐っているのにほったらかしているような、恐ろしい状態です。私の場合は、逃避したいという気持ちが現実を見ないようにさせていたように感じます。見ているのに「見えて」いない。

 

今成績が上がらない「まま」の生徒は、もしかしたらそんな状態に近いのではないか。そう思って、私は興味を持って接していこうと思っています。