常に触れている状態

教室内の生徒ファイルの棚の上に、「暗記マーカーの使い方」についての張り紙がしてあります。勉強法の一つとして、興味のある生徒は試して欲しい内容をまとめておいたのですが、実はこの張り紙の中には、脱字が一カ所あります。

 

多くの生徒たちが定期テスト前だけでなく、普段から暗記マーカーを活用しているので、この張り紙を見ているとは思うのですが、いまだかつて、この脱字に言及してくる生徒はいません。直すのが面倒でそのままにして…生徒の注意深さをチェックするために残しているのですけれどね。

 

そこで思いました。「国語が苦手な子は、こうした身のまわりの文字を読んでいないのではないか」と。思い当たる節がいくつかあります。例えば、休みの連絡などを貼り紙にしてドアに貼ったりするのですが、生徒にその内容を尋ねると答えられる子は毎回答えているのに対し、答えられない子は毎回答えられません。

 

これは注意力云々というよりも、身のまわりにある「文字」に対して、「読む」という選択肢を持っていないのではないか。意識的に文字を読むのは、勉強などで文字を読む「必要がある」時だけなのではないか。そういう時だけ文字を読むモードを起動してやっとこ読んでいるのだとしたら、これは中学生くらいであっても、海外に来たばかりの人と同じ状態で、まだ日本語に慣れていない状態なのかも知れません。普段は文字情報を遮断しているのではないだろうかなんていう疑問になっています。

 

今は格言付きのカレンダーを飾っている家って少ないかも知れませんね。よく、小さかった頃はその格言を、漢字は読めないのでひらがなの部分だけ読んだりしていた人も多いと思います。それが積もり積もって、文字情報の遮断できない、電車の中吊り広告を隅々まで読んでしまう習慣につながっていると思うのですが、その習慣が国語読解力に少しは影響していると思うのです。だからできるだけ文字情報を遮断できないような工夫は何かできないかな、と思っています。