富士山に登ろうとしたけれど頂上まではたどり着けなかった。でも8合目までは行った。もしこのような経験をした人がいたとしたら、その経験は「無駄」でしょうか。
私は絶対に無駄ではないと思います。途中までであっても、いろいろ分かったことや感じたことはあるでしょうし、それが自身を成長させてくれると思います。そして次は登頂できるかも知れない。それを初めから「どうせ登頂は無理だから行かない」としてしまったら今度はどうでしょうか。
勉強もこれに通じると思っていて、ある問題を解くときに「正解はできなかったけれど途中まで考えた」人と「初めから諦めて選択肢を読まずにテキトーに記号を埋めた」人には大きな経験値の差が生まれると思うのです。そこで目に見えない経験を積み上げることで、次は正解できるようになる体質になっていきます。
私は、日常学習の場では「間違えること」が大切だと思っています。間違えて、次はできるように覚えたり考えたりする。その繰り返しで学力が向上していきます。勉強ができるようになる人はそれだけ間違えた人です。たくさんの失敗と試行錯誤の上に学力は積み上がります。ですから、初めから諦めている人には学力向上のチャンスなんて訪れません。
受験勉強の世界では、偏差値を1伸ばすのも大変です。その偏差値1を上げたくて、みんなミリを刻むような努力をしていきます。例えば分からない単語が出たらいちいち辞書を引いて調べる。分からないものは分かる人に質問に行く。こうしたちょっとした努力が積みあがってやがて大きな力になります。勉強はできるできないではなく、「やる」か「やらない」かでしかありません。
簡単に諦めないで欲しい。意味のある苦しいことからすぐに逃げないで欲しい。今はそれでやり過ごせても、その先に何か実を結ぶものはありません。しかし逆に言えば、諦めずにコツコツと積み上げていけば、必ずいつかできるようになる。それが勉強の世界なんだ。そう伝えていきたいです。