自分の子供が「バカ扱い」されていたら。

以前働いていた塾では、講師・塾長間で「できない子への指示」というものがありました。

 

英語が苦手な子の場合、「単語の暗記だけ一緒に付き添ってやってあげる」。数学が苦手な子の場合、「計算問題だけできるように教えてあげる」といったものです。学力の低い子に対する指導指示だったのですが、テストで点を取らせるためには仕方のないこととしてまかり通っていました。

 

今の私はこの方針に反対です。できない子にも学校で習うことは全て教えるべきだと思っていますし、できないのなら他の子よりも時間をかけてでもできるまでやらせるべきだと思っています。確かに計算ができない子に計算の習得を十分させずに文章題や関数の指導をしても、テストで点数は取れません。ですが指導する範囲を講師や塾長の判断で絞ってしまうと、その子の学習の機会を奪ってしまうことにもつながってしまうと思います。計算ができなくても式の証明はきちんと教えたらできるようになるかも知れませんし、英文法も何かのタイミングでコツをつかめるかも知れません。

 

実は、この指示には塾側の都合も少なからずあったのではないかと思っています。だいたい、勉強のできない子が自分の意志でたくさん自習に来ることはまずありません。そうなると成績を上げるチャンスは授業の時だけです。その時間で成績を上げるには、やることを絞らざるを得ない。ぶっちゃけて言うと、学力の低い生徒をできるようになるまで指導するのはかなり根気のいることです。それをアルバイトの講師がするには正直しんどいし技術的時間的に無理だったりもします(大学生の場合、自分たちも学生生活があります)。そうなると、目先のテストで「これだけは取ろうね」というのが現実的な落としどころだったりもします。

 

ですが私はここに怖さを感じます。生徒の現状を見てそこからステップアップさせていくという方針は賛成ですが、「教えない」という選択を取るとその先のステップが無くなります。時間が無いという理由でその方針を取った場合、その後戻ってきて未修分野を指導をし直すということもほぼできません。ですからもしかしたらその子の学力向上のチャンスを大きく奪ってしまうかも知れません。それだけ重大な判断を、「この子はここまでしかできない」とレッテルを貼って行ってよいものなのか。そしてそのレッテルは果たして生徒の為のものなのか、はたまた塾側の都合によるものなのか。そのあたりを考えていると、薄ら恐ろしい気持ちになります。

 

以前保護者の方から夏期講習について、「クラス分けしなくてレベルに合った指導はできるのですか?」と聞かれたことがあります。(もくせい塾の中3夏期・冬期講習は1クラスです。)私は講習を分かることも分からないことも全て説明するつもりで行っています。そこに、生徒のレベルに合わせた指導というものは存在しません。その為、講習の時間はとても長くなります。全部説明して、それぞれが自分の課題を見つけて学習する。そこにはできる子できない子のレッテルは無く、等しくみんな「勉強が忙しくて大変」となるように設計しています。クラス分けをしたほうが指導はしやすいのですが、なんとなく、その時のことを思い出したので書いてみました。