宿題は本当に気を付けて出さないと危険です。学力を高めるどころか、ズルして楽をすることを覚えさせてしまうこともあるからです。
問題演習を宿題として出すときには、解答をつけて渡さないと自学になりません。自分で丸を付け、間違えたら解説を読んで復習をすると。ですがその場合、答えを写して宿題を「終わらせる」子が必ず出てきます。解答を付ければそれを写し、付けなければ「分かりませんでした」とやってこない。今まで塾講師をやってきて、これは無くすことができませんでした。
どうしてそういう子が一定数(というか多数)いるのかを考えると、学校の宿題のありかたに興味が湧きます。学校では宿題が出され、小学校の場合はドリルのようなもの、中学校の場合は定期テスト前にワークの提出があると思います。公立の学校の場合、これらの宿題は学力を伸ばすという側面だけでなく、「学習態度」の評価をつけるためにも出されています。すると「提出がされる」ことが評価につながるので、子供は「終わらせること」に意識が傾いてしまいます。分からないものは答えを写してでも「終わらせる」。
きっと子供たちは、初めは分からない問題「だけ」を赤鉛筆などで写していたのでしょう。しかし、わざわざ赤鉛筆に持ち替えるよりも、鉛筆で答えを写してしまって、後でまとめて赤で丸付けしたほうが効率的であることを学び出します。どうせわからない問題だし、答えを写すことには変わらないわけです。それを繰り返し問題を解き終わる前に答えを見ることに抵抗が無くなると、次は分からない問題の隣の問題も答えを写したほうが「速く」終わることに気付きます。そうして、自分の頭を使うことをだんだんとやめていき、「効率良く」評価が取れるほうに舵を切っていきます。
塾に来た生徒で宿題を「ズル」している子の提出されたものを見ると、それはキレイに「解答通り」の答えが書いて丸付けがされています。見る方としてはすぐに分かります。しかし彼らに悪気があるわけではありません。それをズルしたかわからないように工夫して偽装する頭が無いかといえば当然そんなこともありません。ではなぜそうするのか。それは、提出することで評価を受けてきたからです。もう一度言いますが彼らに悪気は無いのです。
では、学校が悪いのかというとそうとも言えません。小学校中学校は教育の場です。純粋な学力のみで子供の評価を下すことはできません。多角的に評価をするために、学習の意欲や態度も見ます。その為の宿題提出があるだけなのです。きちんと宿題を提出した生徒は、約束を守ったという評価がされます。もちろん学校の先生も答えを写して出している生徒のことなんかお見通しです。ですが提出物を学力向上になるやり方をしているかどうかまで全て見ることは物理的に難しいので、そこの評価はテストの得点で判断するという仕方をしているのだと思います。
人は弱いので、楽な道があったらそちらに行きがちです。宿題を楽して終わらせて何も言われないのなら、そうするに決まっています。こういうわけで、塾の現場では宿題を「写して提出する」という現象が出てきているのではないかなと思います。大人ならば、それは意味が無いので写すくらいならば宿題自体をしないという判断もできますが、子供はまだできません。ですが出さないと叱られる、評価が下がる。その間を埋めるために「写してでも」出している。そう考えると少しいじましくすらありますね。
そういうわけで、私は基本的に宿題を出しません。そういう抜け道のあるシステムでは生徒の時間を奪うばかりで効果的ではないと考えてのことです。その代わりに、生徒にやってもらう授業外の課題は全て効果測定を行えるものにしています。宿題を出し、やってこなかったら叱る、答えを写してきたら疑って告白させ叱る、なんてするよりも建設的なんじゃないかなと思います。それよりも勉強は自習に来させてする、自習に来ないと授業が進まない仕組みがある、勉強したものはテストを課して確認できるようにするといった、生徒の心の弱さをシステムで支えてあげるほうが張り合いも出ていいなと思っています。