自分の外に基準のあるものは、それを満たすためには自分を変えなくてはなりません。たとえばテストが良い例です。合格基準が示されれば、それを超えるために自分が努力して合格するための力を付ける必要があります。
少し酷な言い方かも知れませんが、この場合結果が全てであり、「自分なりに頑張った、でも不合格だった」ではダメなんです。
もくせい塾の小テストは
もくせい塾では小テストが日常的に行われます。これに合格し続けることによって生徒の学力が伸び、成績が上がるのをずっと見てきました。もくせい塾の指導にテストはかかせないものとなっています。
ここで、指導で行うテストの性質が決まってきます。目的は生徒の学力を伸ばすことなので、生徒の今の学力段階に+αできるもの、事前に出題内容が開示された単語テストや暗唱テスト、つまり「準備すれば必ず合格できるもの」ということになります。準備せずに合格できるものでは意味がありませんし、学力を伸ばすことが目的なので合格ラインは成長が確認できるところに設定します。
そして、不合格をした生徒に対する対処も考えねばなりません。
不合格にもいくつかある
努力をしなくては合格できないものとなるため、小テストには不合格者が出てきます。
今の塾生たちはみんな真面目ですし、私がかなりうるさく面倒くさいので、テストの準備はしてきます。ですが、その準備が「合格に届いていない」程度の努力量でしかない場合があります。
入塾したてのころは、この不合格が続くことがあります。生徒の今までの生活で「このくらいでいいか。」という自分基準でやろうとして、それがもくせい塾の指導の基準に届いていない場合です。その場合は無情にも不合格をつきつけます。今までのやり方では通用しないと気づくことで、変わっていくことを期待します。実際、ここで変われた子が成績を伸ばしていきます。ですからこの場合の不合格は、「いい不合格」です。
まずい不合格・・・雷ドカーン
一方、気を付けなくてはならない「まずい不合格」は、ある程度在籍しているのに不合格が続く、もしくは増えてきた場合です。塾の環境に悪い意味で慣れてしまって、「不合格でもいいや。」と準備を面倒くさがる気持ちに負け、サボってしまおうとなっています。
不合格が続く生徒に対しては理由を聞いたり、不合格であることをつきつけたりしますが、ここでよく出てくるのが上記の「自分なりにがんばった、でも不合格だった」です。これには私の「成績が上がらない習慣アラート」が鳴り響きます。これを言う生徒は負け癖が付いていきます。
上でも言った通り、合格基準が示されているテストには「なぜ合格があるのか」という理由があります。そこに到達することをせず「自分は頑張った」と、中途半端な努力を依り代に自分を慰めていては指導の効果を得られません。
実は先週、中3生の中にその傾向が出ていたので雷を落としました。受験生たちは楽しく勉強していますが、テストに合格する生徒が減ってきており、その楽しさの影に隠れて努力が足りなくなっていることを感じ取りました。受験が近づいてきた中でなあなあにしては絶対にいけないと思ったので、ドカンといきました。また今日も授業内のテストの準備が足りていない生徒も雷を落としています。(秋は天気が悪くなりがちです。)
もう一度「小テストは必ず合格しなくてはならない。」
先週雷の直撃を受けた中3生たちは今日までにだいぶ改善されたように感じました。できれば私は、ゲラゲラ笑いながら生徒と接していたいのですが、私の理想とする「楽しい」は、「全員が頑張っていて充実している上で笑える」なので、それを外れたらこういうこともあります。でもそれで改善できる今の3年生たち、好き。
高校に進学すると、英語など何かしらの科目で毎週「小テスト」が学校でも課されるようになります。それに毎回合格しようとして準備する生徒と成績に関係ないから不合格でもいいやとする生徒、3年後には恐ろしいほどの力の差が付きます。今から小テストをきちんと乗り越えられる体質になっておき、高校でも困らないようにしていきましょう。