物音の向かう先

自分の目的がはっきりしている人は「静か」になる。

自習室は誰のものか


埼玉県の私立高校入試が近づき、今日も受験生たちが自習に来て各自勉強を進めているが、いるのかいないのか分からないくらい静かだ。もちろんページをまくる音や、シャーペンを動かす音などはしている。だけど、その音が「外」に向かってこない。

 

よく塾に入りたての子や低学年の子などは、物音でこちらに存在を「知らせる」ことがある。「ボクかここにいるよ」という具合にだ。とりあえず親に言われて自習に来たけれど勉強自体が目的になっておらず、勉強よりも「かまって欲しいと」いうメッセージを出す。

 

昔働いていた塾では、そういう時はすぐに駆けつけていた。救急隊員よろしく現場に駆けつけ「どう?順調?」なんて話しかけていた。そんなこと分かり切っているのに。そして「何か質問はない?」「やることはあるの?」「ないならこれやってみようか(プリントを印刷して渡す)」「学校は楽しい?」と、生徒の「ご要望」にすぐに応えていたのだ。

 

もくせい塾ではそれをしなくなった。自習に来た子は基本的にほったらかしにされる。だからそういうことを期待して自習室に来た子は面食らい、すぐに自習に来なくなる。しかしこうすることで別の変化が起こっている。自習室が「本当に勉強をする場」になった。目的があって頑張る生徒の為の場になった。そして逆に、自習する生徒の割合が増えた。

 

たぶん私は間違っていた。こちらから「お迎え」に行っていたあの時の私の目には、隣で目標に向かって黙々と勉強している子の姿が映っていなかったのだ。目標が定まっている子は放っておいても勉強をする。それに甘えていたのだ。そういう子たちにとって、きっとこのフレンドリーな塾長は、「うるさい」雑音だったろう。今更ながら申し訳ない。

 

今も昔も、自分が「応援したい生徒」は全く変わらないけれど、そういう子たちのために特化することを恐れていたんだと思う。今はその恐れはない。