「モノによるご褒美」を子供の勉強に持ち出すとどうなるか。
私は反対
テストなどで、「100点取ったら〇〇買ってあげる」と約束してしまう親御さんは少なくない。生徒の口からたびたび聞いてきた。「テストの順位が上がったらお小遣い増やしてもらえる」とか「スマホが手に入る」とかね。
これを私に話す時、生徒の表情はとても明るい。喜びがにじみ出ている。まるで「もう手に入ることが決定している」ことのようだ。
以前こんな話を聞いた。人類が狩猟民族だった頃、いつでも獲物が手に入るとは限らなかった、ゆえに食料手に入ったらすぐに食べ、脂肪として蓄える。こうして飢えをしのぎながら生き延びた。(だからダイエットで食事制限をしたときに、筋肉から無くなっていき脂肪が落ちるのは一番最後なのだ)そして、その時の記憶が遺伝子に組み込まれているので、たとえば衝動買いをしてしまったりと、人間は目の前の獲物を我慢できないという本能がある。
「マシュマロテスト」と言う実験がある。子供に1つマシュマロを渡し、「私が出かけて戻ってくるまで我慢したらもう1つあげる」と伝える。結果、幼い子は我慢できなく、精神的に成熟している子ほど我慢ができ、その後の追跡調査で学業も優秀であったことが分かっている。我慢したほうが得をするのは分かっているのに、本能がそうさせないのだ。
さて話を元に戻す。きっとモノをご褒美にした親御さんはこう考えている。
「今回はモノで釣るような形になっちゃったけど、これで成績が上がってくれれば勉強へのモチベーションにもつながるし、勉強の意義が分かればいずれは『何もなくても勉強する子』になるはず」
残念ながらその未来はやって来ない。勉強の意義は、「良い高校」「良い大学」「よい人生」のことだろうが、目の前に美味しいものをドンと出されてしまった子供にとって、そんな遠く未来の「マシュマロ」より、目の前のスマホなのだ。
そして目の前に獲物を出されれば、手に入ると期待させてしまう。これも遺伝子の記憶らしいが、人は同じ価値の場合、「得る」ときよりも「失う」ときのほうが大きく感じる。(1万円をもらうことと、道に落として無くしてしまうことろ考えてみてほしい。どちらが衝撃が大きいだろうか)だから「はい。テストで目標を達成できなかったので今回のご褒美はなしよ」と言われたら、子供は「よーし、次頑張ろう!」とはならない。きっと「どうせもらえないんだし、もう勉強なんてやーめた」だ。
最後に、子供に勉強をさせる手段として、モノをご褒美にするときのポイントをまとめておきたい。それは、「次はもっと子供の喜ぶもの」を用意し「続ける」ことだ。今回お小遣いを3千円から5千円にしたのなら、次に来る3か月後の定期テストではは1万円、そのさらに3か月、今から半年後には2万円だ。もし今回スマホを買い与えたのならば、次はそうだな、「朝早起きして学校に勉強に行かなくてもいいよ券」あたりを用意するといいと思う。
でもこれはちょっと現実的でない提案だったかも知れない。だから代替案は、「今回で『勉強はおしまい』」とすることだ。今回が最後の勉強の強制だったのでご褒美を付けたけれど、もう今後勉強はしなくていいからこれでご褒美タイムは終わりね、とすれば出費もかさまない。子供もこれ以上のご褒美は諦めるだろう。
私は、「モノで釣って勉強させる」というのは、「勉強への意義の獲得の可能性」を破壊する毒薬だと思っている。