転ぶということは、前に進もうとしているということだ

またこけた。

今日の場所はどこかな


今週の業務も無事に終わったので、最後に教室で転んだ話をしておきたい。

 

教室の中で、唯一「通ってはいけない」場所がある。それは、カウンター横のFAX台と引き出しの間、1メートルほどの隙間だ。通ってはいけないと言っても、別に何かオカルト的ないわくがあるとか、暴漢か出て治安が悪いとかそういうのではなく、教室内で唯一電源コード類が見えている場所なのだ。「足を引っかけるので」危ないよということだ。教室内の導線的には、当然生徒たちがそこを通ることは無い。

 

私はそこを通ろうとして電源コードに捕まった。ご法度を自分で犯した。危険を十分認識していたのに。野生化したアライグマを捕獲するニュース映像を見て感じる哀愁のようなものを感じる。そう、あの時の私は見え見えの罠に引っかかる哀れな獣だった。

 

おおよそ足を引っかけるときは、躓く前に足が何かに引っかかったという認識が先に発生する。この時私の意識にも「あ、引っかかった」という思考が確かにあった。このままでは転ぶと判断した脳が「とまれ」の信号を出す。しかし体はすでにもう1歩前に進んでしまっていた。

 

皮膚で受け取った電気信号が感覚神経を通り脳に伝えられ、脳がその内容を解釈・判断する。そして「このままでは転ぶから止まるんだ」と命令を再び電気信号で運動神経に伝える。体のしくみは実に機能的で正確だ。しかしそのひとつひとつの手順を正しく踏むというお役所仕事的な流れは、時に時間がかかるという弊害をもたらす。それが生み出した悲劇だった。

 

すでに足に絡みついたパソコンの電源コードはピンと張っていた。まるでギリギリまで引き絞った弓道の弓のように、そのコードは私に狙いを定めた。コンピューターによる人類への反乱だ。私はバランスを崩し、足を大きく後ろに跳ね上げた。そしてこれがいけなかった。

 

物理の世界にはモーメントという概念がある。物体を回転させようとする力と、支点から力点までの距離の積を言う。私が前に進もうとする力は一定だが、コードにかかった左足を高く上げてしまったために、接地している右足の支点と、力点になった左足距離が広がった。モーメントが大きくなる。回転運動が発生した。

 

そこからはまるで柔道の国体選手に投げられたかのように一瞬だった。机の上にあったメモ帳やテキスト、「飯テロカレンダー2023」などを巻き添えにしながら、例のごとく膝から着地する私。いつも割を食うのは膝だ。ごめん膝。

 

そしてこの時、かなり大きな音を立ててしまった。刹那思ったのは、「まずい、生徒を心配させてしまう」だった。まずこう思った思考回路は自分でも講師の鑑だと思う。誰かに褒めて欲しい。そこから私が取った行動は、「いってぇ~」と言いながら仰向けになることだった。倒れたのはうつ伏せだったが、仰向けに姿勢を変えることで、なんとなくカッコ良さを演出しようとした。サッカーワールドカップで惜しくも敗戦した日本代表選手のような、その健闘を称えてもらおうとしたのだ。「悔しい...精一杯出し切ったのに」(※これは室内でコケた話です)

 

しかし笑うこともできない無様さは隠しきれなかった。結果生徒にはちょっと心配された。その後そそくさと立ち上がり、周囲を片付けて授業をした。仰向けに倒れてみせた流れ、今猛烈に恥ずかしい。

 

そして今。打った膝と、なぜだか肋骨の内側あたりが少し痛い。もしかしたらこけた衝撃で内臓が揺れたのかも知れない。井上尚弥選手のボディーブローを受けたらこんなかん...じでは済まないだろうな。でも心臓が右に寄っちゃってたらどうしようと心配している。

 

また来週も元気に頑張りたい。