挨拶はしなくてはいけない

説教臭いおやじですが。

人間関係は挨拶から


挨拶をすることについて、うるさくしたいわけじゃない。「すること」が目的になった挨拶には意味は無いと思っている。

 

スポーツのクラブチームに所属している子などは、とても元気よく挨拶してくれるが、それもちょっと「躾」感が強くて苦手だったりする。挨拶の練習とかさせられているのかな、と感じて少し怖い。

 

だから挨拶は自然にできるようになればいいと思っていて、挨拶が「できない」子に対してはできるようになるまで待つ姿勢だったりする。小学生くらいだったりするとまだ恥ずかしがってできない子も結構いるけど、みんなそのうちできるようになっていく。

 

だけど、できないではなくて「しない」子に対してはちょっとモヤっとする。ついさっきまで授業を受けたのに、会話を交わしていたのに、帰りに無言で教室を出ていった生徒がいた。私が他の生徒の相手をしていたのでそうしたのだろうが、そうしていても普段から挨拶は返しているし、その子もそれはもう知っていたはずだ。挨拶ができないではなく「しなかった」、ということになる。

 

私自身礼儀に関してはできないので、そのことをとやかく言う権利はない。しかし挨拶をしなかった生徒にとって、私は「何」なのかなと感じた。もしかしたら、「人」と認識していないのかも。テレビの出演者のように、ただしゃべっているのをその子は眺めているだけ。気に食わなければ、ネットでいくらでも悪口を言っていい存在。またはゲームに出てくるモブキャラ。毎回同じところに配置されていて、「ここは『はじまりの村』だよ」というだけのプログラム。

 

そういう印象を相手が受けてしまった時点で、「挨拶をしない」はやってはいけないことだった。「そういう対応をする人」と捉えられてしまう。それでは損をしてしまう。そんな人に何かを教えたいと思う指導者や先輩・上司は世の中にいない。相手を「モブキャラ」だと思っているうちは、モブキャラのほうから自分に語り掛けてくれることはないのだ。

 

私はその生徒を呼び戻し、挨拶の「やり直し」をさせた。こんなことをしている自分が情けないが、自分と世界が分化するのにもう少し時間がかかる子だっている。この思いが伝わるまでは、気長にやっていかねばなるまい。