できることは全力でやる。
できないものはできない
塾の仕事をしていて、「何でも安請け合いしてはいけないな」と思うようになった。できないものはできない、と。それは延いては生徒自身に迷惑がかかるからだ。
以前は結構なことまで「できますよ」と安請け合いしていたと思う。生徒の自習のメニューを毎日決めてプリントを用意し、解いた問題の丸付け・解説。おまけに学校のテストが近づいたら学校の課題が終わっているかどうかも確認し、終わっていなかったら(そういう子はたいてい3日前になっても手を付けていない)付き添って終わるまで面倒も見ていた。今は「これって自習じゃないよね。生徒に楽させているよね」と思う。
結局、こんn風に保護者や生徒に願われたことを、私と手の空いている講師で協力してどうにかこうにかやっても、実を結ばずに生徒が辞めていくことも多かった。変な言い方になるが、保護者に「いい顔」をしていても子供の本質的な学力改善にはならなかったのだ。
私が初めて「それは無理」とキッパリ断ったのは、昔、週1回の指導で3科目分の指導を頼まれたときだ。その時も「自習でやることを全て指示して、やったことが定着したかどうかテストもして欲しい」と言われた。進路のために校内の模試で点数が必要ということだった。そのテストも近々に迫っており、週1回の指導時間では足りないと思った私は、授業回数を増やすよう提案したが駄目だった。そして「足りない分は自習時間になんとかして欲しい」と言うことを言われた。これは塾のコンセプトと違う要望だった。正直に告白すると「お金払ってるんだからそれくらいやってくれて当たり前でしょ」という印象も受けた。
塾人は目の前で困っている生徒がいる場合、「何とかしたい」と思うのが普通だ。この時も揺れた。きっと達成すれば感謝もされるだろう。でも当時の私には難しい条件だったし、私の思い描く学力向上の道から外れていた。私は「できません」と断り、その生徒は塾を辞めた。もしできなかったときのことを考えると、今は断って良かったと思っている。探せばその願いを叶えてくれる塾もあるだろう。
自分では誠実に対応しているつもりなのだけど、私のような塾長を世間では「アクが強い・偏屈な」と評するのかもしれない。しかし私が願うのは生徒自分でつかみ取る幸せであり、「とりあえずアナタの力で高校や大学に入れてよ」というのは私の目指すところではない。