赤鬼が「ウィンウィン」と泣いている

誰かのためになりたいよね。

赤鬼が泣かなくてもいい世界


幼稚園のお遊戯会での演目は「泣いた赤鬼」だった。

 

私は赤鬼役で、青鬼の子と一緒に歌に合わせて踊った。と言ってもクラスの半分が赤鬼、半分が青鬼役なので決して主役を張ったというものではなかったけれど。

 

ところでこの「泣いた赤鬼」、タイトルは赤鬼だけれど、重要なのは絶対に青鬼のほうだと思う。主役と言ってもいい。青鬼の自己犠牲の結果、赤鬼の望みが叶い、それを知った赤鬼が青鬼の思いやりを感じて「泣く」。赤鬼からすると自分の願いのために友人を失った悲しみがあるのかも知れないけれど、青鬼からすると全てを失っておりやりきれない。「そこまでいい話か?」とすら思う。

 

当時の私がなぜ赤鬼をチョイスしたのか定かではないけれど、きっと「主役は赤鬼」と思っていたのだと思う(出たがりだった)。今では完全に青鬼のほうに惹かれる。今やるなら絶対に青鬼だ。(この年になってトラ柄のパンツとか履けないけれど)

 

誰かのために頑張ることの喜びは、塾講師で知った。塾講師は生徒のためにある。でもこれは自己犠牲をしたいわけでもそれを良しとしているわけでもない。ただ人が喜ぶことをすると自分の達成感が得られるという、完全に自分本位の考えでそう思っている。だから自分が徳を積んでいるなんて思っちゃいないけれど、その分今やっている「青鬼」は、もう少しハッピーエンドを目指したい。赤鬼には笑顔でいて欲しい。