自習について思うこと。
お母さんがハンバーグを出してくれる日まで
自習というものは、読んで字のごとく「自分」で「習う」だ。しかし、
「自分の裁量・判断で勉強すること」
という捉え方をしてしまうと、
「やらない、ゼロ」
という選択肢もできてしまう。と、いうよりそんな子って結構多いと思う。当然これでは学力は伸びない。だからもくせい塾では自習でやらなくてはいけないことを与え、自習してもらうことを面談でお願いする。言葉はあまりよくないけれど、まあ強制だね。
そう考えると、授業と自習「室」は提供しますよという塾に比べて生徒の負担は大きい。もしかしたら「宿題が多い」なんていうのよりもずっとキツイかも知れない。宿題は自分の裁量でできてしまう。「スマホをいじりながら」など、まだまだ逃げ道があるのだ。その点自習室に来ての自習には逃げ道がない。慣れるまでは大変だろう。
でも考えてみてほしい。もし自分の子が、時間は十分にあるのに家で寝っ転がってスマホをいじっているだけだったらとしたら。たまに動いたかと思えば、テレビをつけて眺めている。そしてまたスマホ。それでいて、
「ごはんまだー?魚は嫌なんだけどー」
なんて言ってきたり。私が食事の準備をするお母さんだったら発狂する。きっと小骨だらけの魚を毎日出す。
「塾に来て勉強しなさい」はそういう無為な時間を少しでも有効に活用できるようなシステムであり、「子供のダラダラを見続ける」という苦行をなさっている保護者様への福音だと思うのだが。