植え替えについて

鉢の植え替えをしていて思ったこと。

気付いたら掘り起こす

植物の鉢の植え替えをしていて、んとなく指導に通ずるものがあると思った。

 

鉢の植え替えは植物の為には必要な作業だ。そのままにしておくとやがて土の養分を吸い尽くしてしまったり、窮屈で根腐れを起こしてしまったりで枯れてしまう。しかし今は順調に育っているように見えるので、それをわざわざ掘り起こして別の鉢に移動させるのは、失敗する心配もつきまとう。

 

生徒を指導するときに、「どこまで踏み込むか」で躊躇することがある。勉強で明らかに間違ったやり方をしていたら訂正するけれど、「悪くはないんだけどなー」「ちょっと効率的じゃないなー」というくらいの微妙な方法をとっていたりする時だ。その時にそこまで訂正させるかどうか迷う。

 

塾講師がよく言う「ゼロから教えるほうがラク」というのはたぶんこの部分で、変な癖がついていないぶん自分の知っている最良の方法を仕込めるからだろう。我流を崩すのは骨の折れることだ。私も経験が浅いうちはそこまで踏み込むことができなかった。生徒のやり方を否定し自分を押し付けることになるので反発も怖い。「まあできているし、いっか」となあなあにしてしまうこともあった。

 

でも自分の知っている最良を満たしていないならば、それは訂正するべきなのだと今は思う。それをせずに付き合っていた子の多くは学力の伸びも限定的で、その原因として考えられることには、私の「まいっか」な部分があった。言葉は悪いけれど、鉢を植え替えずに育てようとした子たちは根腐れを起こしてしまったのだ。

 

塾講師として気付いた、生徒の学習の違和感は「植え替え」のサインだ。「大丈夫、必ず根付かせてみせる」という思いで掘り起こす。