はい、並んでー。
いるよね、割烹着忘れてくる子
授業は読んで字のごとく「業」を「授ける」行為だ。生徒に新しい知識や技術を習得してもらう。しかしその受け取ることができる量は生徒ごとに違うので、その後の伸びに差が出る。
イメージとしては、給食の配膳で生徒の持っているお椀にお味噌汁を入れていくようなもの。できるだけお椀にいっぱい、なみなみと注ぎたいんだけど、そのお椀の大きさに違いがあるのだ。なみなみにするとこぼれてしまう場合もあるし、中にはお椀が欠けていて、注ぐそばから漏れていってしまう子もいる。しかし一方で「お相撲さんの祝勝会かな」っていうくらいのお椀を持っている子もいる。それなのに、注ぐ瞬間によそ見をしていて、お味噌汁を床にぶちまけてしまうような子もいたりね。
動画を見て小テストをする仕組みを作ってから、その違いをよく感じる。動画で勉強した内容ならば、こちらの用意する「味噌汁」の味と量は一定だからね。でもそれを十分に受け取れない子というのがいて、入れたはずのお椀の中に具が入っていなかったり、ちょびっとしか入っていなかったりする。そういう子には、「おかわり」のしてもらったり、お椀を大きいものに交換させたりする必要が出てくる。いろいろ仕組みは作ってきたけれど、全部自動的に配膳なんてできないものだ。ここに対面式の学習塾の存在意義がある。