その盛りかたは不自然でしょうに
ワークによるテスト勉強の状況把握だが、中には「盛って」くる子もいる。
テストまで1週間程になったとき、ある生徒に
「ワーク何周した?」
と聞くと、「3周です」と返ってきた。よしよし、いいじゃないかと思って問題を解かせてみると、ほとんどできない。新出単語もほとんど身に付いていなかった。これは盛ったよね。
個人差はあるだろうが、ワークを3周した子には「ワーク3周分」の格が備わる。その範囲ならば「これくらいは解けるだろう」という感覚がなんとなくあるのだが、その子はそれを満たしていなかった。
もしかしたら、実際に「3周した」のかも知れない。しかし3周「できた」というのと3周「した」というのは違う。料理で例えると、ロールキャベツのレシピが頭に入っていて、材料の用意から完成まで迷わず手順を踏めるのがロールキャベツを「作れる」だ。クックパッドを見ながら右往左往し、危なっかしい手さばきの末、「はい、ロールキャベツ」と出されてもそれは「作れる」ことにはならない。ほら、中の肉団子がキャベツから脱皮しちゃってるし。
「味と栄養価は同じだからいいでしょう」とはならないのが、ワークの反復学習だ。ましてや実際は盛ってるだけで味も栄養価も足りないのならば、もっと努力しなくてはならない。