勉強を「自分事」にできるかどうか。
よく見て
勉強は「自分のこと」として捉えられるかどうかが伸びに関わってくる。
学力上位層の子は自分の勉強を完全に掌握しコントロールする。自分のことと捉えられている。一方学力下位層の子は「他人事」になっている印象をうける。
「親に言われたから」
といった言葉を口にし、勉強ができないことを、
「学校の授業がわかりにくい」
などという。同じ授業でできている子の存在を意識したことがないのだろう。
したがって、成績向上の第一歩目は「自分でやる」ことにあると思っている。自分で靴紐を結んだことが無ければ靴をひとりで履くこともできない。勉強は自分でやるものだ、という姿勢を身に付けることから始まる。
もくせい塾では教室の壁にいくつか張り紙をしてある。あまり「うるさく」なるのはこだわりのラーメン屋みたいで嫌なんだけれど、何も無いのも寂しいので他愛もないことやちょっとした「にぎやかし」だ。
しかしその中に、連絡事項が貼ってあることがある。テストを受けた後の提出物や生徒に行ってほしいことなど、「口頭連絡で済むこと」をわざわざ張り紙にしていることがある。なぜかというと、これを見て「自分に関わることだ」という意識を持ってもらいたいからだ。この意識が、勉強を自分のコントロール下に置けるかどうかにつながっているような気がしてならない。だからどうしても必要なこと以外はこういう方法で情報を流すことがある。
実は10日ほど前に中学生向けの「ある連絡」を張り紙にして張ったのだが、それに対して反応した子はまだ2人しかいない。目の前にあっても見えていないんだね。
「なんだよなんだよ、みんなデジタルネイティブなんだからもっと情報リテラシ―が高くて情報集めが得意なんじゃないのかよー」
なんて心の中で思ってたりする。いや、リテラシーが高すぎて「自分に必要ない」って判断なのかな、悲しい。次は誰が反応するだろうか。