宿題を「どう」するか

宿題は自分でやろうね。

黄色信号がともってる

中学生の時に、クラスの子から

 

「宿題写させて」

 

と言われて写させてあげることが度々あった。中3の頃かな。その頃の私にとって学校で出される宿題は屁とも思わないものだった。量も内容も全然たいしたことがない。実際に、宿題が出された授業後の休み時間にはもう終わっていた。だから写させてあげることに何の思いも抱かなかった。むしろ頼られることに優越感すら抱いていたかも知れない。

 

時が流れて高校時代。私は宿題を「写させてもらう側」になっていた。友達の勉強ができる子に、「宿題写させて」と、少しの罪悪感を感じながらもいつも「お参り」していた。その頃の私はもう学校の授業についてゆけず、学校から出される宿題は「無理難題」になっていた。自分ひとりじゃムリ。その友達の解答を写しながらも、なぜその答えになるのか理解ができない。というより写しているのが提出直前で、正解を考えることすら放棄していた。

 

きっとその友達は、中学校時代の私と同じ、宿題を写させることに何の感慨も抱いていなかったのだろう。そして高校時代の私は中学時代のクラスの子だ。その場を乗り切ることしか考えていなかった。どちらの立場も経験した身から言えることは、「宿題は写すようになったら終わり」ということだ。その段階ですでに学力は崩壊していて、学校の授業にもついていけていない。そうなった段階で誰かに相談しなくては傷口は広がり鳥返しのつかないことになる。