長文を「訳せる」のと「分かる」のは違う

生徒の勉強を見ていて思う。「訳せる」のと「理解できる」のはどうやら違うようだ。

 

英語でも古文でも、文章を訳すことはできるのだが、

 

「じゃあどんな話だった?」

 

と聞くと答えられない子が結構いる。もちろん訳すことに手いっぱいで内容把握に手が回っていないときもあるけれど、いざ訳された文が何を言っているのか分からない、なんてことがある。自分で訳していてもね。 昔の翻訳サイトのように、ただ単語を置き換えるだけになってしまっている。

 

だから、文章のテーマを知らないようならその内容をかいつまんで説明したり、訳文を理解できていないのならば理解できる言葉や言い回しで言い直したりすることがある。「和訳をさらに『生徒向けに訳す』」というなんとも不思議な作業だ。

 

これを解消するには、生徒の語彙力や読書の経験値を増やすしかない。たぶんここに「勉強の内容だけを教わっても伸びない」という原因のひとつが隠れていると思う。