終わった時にそれを言えるか

日曜に演劇を見て来た。

 

出演者の方がこんなことをおっしゃっていた。

 

「終わった時にちゃんと『やりきれた』と言えるように臨みたい」

 

そうおっしゃる通りの素晴らしい舞台だった。

 

どんなことでも「終わった時」のことを想像するのは大切なのかも知れない。その時に後悔の無いように。受験生ならば受験が終わった時に、それ以外の学年の生徒でも定期試験が終わった時に、もっと言えば「今日の終わり」にちゃんと「やりきれた」と言える勉強をしているか。まだ終わりを意識するのは難しい年代の子たちにこれを伝えるのは難しい。経験が伴わなくてはできないことだから。

 

しかし業務が終わって、「おわりだよ」と言っているのにまだ机にかじりついている子たちにはその空気を感じることがある。終わりのチャイムが鳴る前から帰る準備を始めて物音をガチャガチャ立てている子もいる中、そういう子たちは「今日をやりきるんだ」という意志をまとっている気がするのだ。きっとそんな子たちの意識は加速して、普段よりも何倍も濃密な時間を過ごしていることだろう。(でも時間が来たら終わろうね)