さて、ここまでの話が私の経験談で、これらから学んだことや今の弊塾での対応を記したい。
まず、提出の必要に迫られてから「ワーク失くした」と言う生徒は勉強に対するプライオリティが非常に低い。このままでは成績は絶対に上がらない。失くしたことをテスト期間、それも塾でやらされることになってからやっと言い出すということは、失くしたことに気付いていないか、気付いていたとしても自分で対応しようとしなかったわけだ。それは「誰かがやってくれる」という他責思考の表れだ。まずはここを改善し、勉強を自分事と捉えられるようにならなくては学力アップの段階に入ることができない。
だから、こんなことで塾があれこれと汗をかいてはいけないと考えるようになった。塾は学習サービス提供の場であって、育児サービスは提供していない。それを手取り足取りどころでなく、手足そのものとなってやってあげてしまっていてはいつまでも子供に成長はない。
中国では一人っ子政策時代に「小皇帝」という言葉が生まれたそうだ。甘やかされて育てられ、自分が特別な存在であると思っている人のことだ。塾の生徒を小皇帝にしてはいけない。いや、私がやっていたことは小皇帝どころか、「小神様」だったのかも知れない。足が汚れてはいけないと、神輿から降ろすことなく目的地へ運ぼうとする。授業料という「ご利益」のためにそんなことをやっていたかと思うと、申し訳なさと恥ずかしさで死にたくなる。
弊塾では「○○失くした」に対して一切関知しない。「ワーク失くした」「へーそれは大変だね」である。まず失くしたからどうなんだとすら言えないのは、文字通り「話にならない」。そこでアドバイスを求められればコピーの話くらいはするかも知れないがコピーを用意してあげることもない。テスト範囲40ページほどのコピーを行うのは1時間程度かかる。貴重な講師の人工をそんなことに割けない。
そして失くしたことをちゃんと「叱る」。自分の人生に関わる進路、その為に必要な道具を無くして何も思わないのでは成長しない。ましてやそれを臆面もなく「なんとかしろ」とばかりに言ってくるのは成績を上げる上げない以前の問題だ。叱る、そして反省を促して再発防止に努めさせる。だからこれで辞めていく生徒も結構いた。以前、学校の教科書も持って来ず塾のものを毎回借りていて、私が作って与えていた板書ノートも「失くした」とケロリと言ってきた生徒にブチ切れだことがあるが、その生徒は翌週辞めた。
おかげさまで現在弊塾には神様はいない。みんな追い出しちまったからね。今は現世利益のために努力する人間だけの集団になっている。神様になりかけていた生徒もいたが、人間界に引きずり下ろした。今ではその子も足の裏は真っ黒だ。