カンニングの跡に対して思うこと

教室の机にカンニングの跡が残っていた。

 

机の端に小さな字で英単語が書いてあった。そこに座った生徒の子が見つけるまで全く気付かなかった。単語の内容的には中3かなぁ。字体を見るにおそらく今年の生徒のものではないと思う。消えずに残っていた。

 

もちろんカンニングは不正行為だけれど、私は「見つけたら注意する」くらいの感覚でいる。やっちゃいけないことくらいみんなさすがに分かっているし、それをしたときの代償を支払うのは自分自身だ。弊塾で行っている単語テストは公平なものであって公正なものではないので、そのあたりの責任は自分で負ってもらいたい。

 

変な話に聞こえるかも知れないが、実はそういう不正行為も「経験」だと思っている。もし今カンニングをして目の前のピンチを切り抜けたとしても、

 

「あの時ズルしちゃったな…」

 

という後悔の念が心に残ればそれはやがて「徳」になるはずだ。次に同じシチュエーションになったときに正しいほうを選ぶ指針になってくれればいい。反対に自分の行った悪徳をすぐに忘れてしまってそれを繰り返すようになってしまったら救いようがないが。もしもやるなら罪悪感はしっかり感じていなくてはダメだ。

 

完全に清廉潔白な人なんていないはずだ。

だから今のうちに清濁併せ呑んでおいて、「ルールだからダメ」という戒律の言葉によってではなく、自分の中の正義の言葉に従って動ける人間になってほしいと思っている。心の中に後悔の澱がたくさんたまっている人は、その分だけ正義を振う力を持てるはずだ。

 

あ、だからと言ってカンニングを肯定するつもりは更々無い。もし見つけたらブチ切れるのでそこんとこはよろしく。