「効率」ばかり求めると成績の伸びは鈍化すると思っている。無駄だと思うことにも養分はあるからだ。
学校のテストなどで満点やそれに近い点数を取る子は、総じて雑学の量が豊かだ。全く関係無いところで身に付けた知識などが問題解決のヒントになることも多い。少し話がブレてしまうかも知れないが「よくそんなこと知ってるね!」とある子に言ったら「ゲームに出てくるアイテム名で身に付いた」と言っていた。言われてみれば私もテレビやしょーもない本を読んでいたおかげで知った漢字や表現などもある。回り道で拾ったガラクタにも見えるものこそが本道のライトアップにつながるのだ。
そんな考えだもので「学校で習ったものだけ」とか「テスト範囲のページだけ」みたいな勉強をしようとする子を見ると大変残念に感じる。特に咎めることはないが、それではテストで満点は絶対に取れないよ、と心の中で思っている。もちろんその子の学力段階で、あまり手を広げすぎないほうがいい時期というのはある。そういう時は私が指導の中で範囲を絞っている。
だが自分の裁量に任された勉強をするときに「ここだけ」と自ら限定してしまう生徒は、どこかで知的好奇心の弱さを感じてしまうし、そんな勉強していても「つまらないだろうな」と思ってしまう。これがたまらなく残念だ。この子にとって、本当の学びは勉強の中には無いのだろうな、と。ただの手段としての勉強。そんな無味乾燥なものを毎日摂取していると思うと悲しくなってしまう。
学力的に優秀な学校は知的好奇心旺盛な子が集まっている。自分の好きなことはとことん追求しようとするし、自分の好きなもの以外にも面白さを見出そうとする。自分もそんな子たちに囲まれた学校生活を送りたければ、勉強でもっと遊ぼうとしておいたほうがいい。サプリメントみたいな、手段としての勉強でそんな学校に行ったって、周りの子の肥えた知的好奇心の舌にはついていけない。