ワークによるテスト勉強の状況把握だが、中には「盛って」くる子もいる。
テストまで1週間程になったとき、ある生徒に
「ワーク何周した?」
と聞くと、「3周です」と返ってきた。よしよし、いいじゃないかと思って問題を解かせてみると、ほとんどできない。新出単語もほとんど身に付いていなかった。これは盛ったよね。
個人差はあるだろうが、ワークを3周した子には「ワーク3周分」の格が備わる。その範囲ならば「これくらいは解けるだろう」という感覚がなんとなくあるのだが、その子はそれを満たしていなかった。
もしかしたら、実際に「3周した」のかも知れない。しかし3周「できた」というのと3周「した」というのは違う。料理で例えると、ロールキャベツのレシピが頭に入っていて、材料の用意から完成まで迷わず手順を踏めるのがロールキャベツを「作れる」だ。クックパッドを見ながら右往左往し、危なっかしい手さばきの末、「はい、ロールキャベツ」と出されてもそれは「作れる」ことにはならない。ほら、中の肉団子がキャベツから脱皮しちゃってるし。
「味と栄養価は同じだからいいでしょう」とはならないのが、ワークの反復学習だ。ましてや実際は盛ってるだけで味も栄養価も足りないのならば、もっと努力しなくてはならない。
中学生のテストが終わった。次は高校生だ。
中学生たちの期末テストが終わった。
今日来ていた子に「どうだった?」と聞くと、「数学の証明問題が~」とか「英語は難しかったー」などと返ってきた。
テストで「想定よりもできた」ということはほとんどないと思う。おおかたは想像よりもできなかったと感じるはずだ。誰でも、努力した分の見返りを求めちゃうものだからね。冷静に自分を見つめるのは難しいし、相当悲観的な見方をしていれば「想定よりもできた」はあるかも知れないけれど。
だからテストの感想を聞くとだいたいこういう返答になるのだけれど、反省点が具体的なのは「いいこと」だと思った。自分の取り組みと向き合えている証拠だと思う。「できなかった」「難しかった」という感想を一つ越えてきたなと、その子の成長を感じた。
あれ?ウチの子、塾では数学をやってるはずなんだけど…。
もくせい塾の中学コースの通常授業は単科受講制だ。だから入塾時に希望された科目の指導をずっと行っていく。(途中で変更することは可能だけど)
しかし、イレギュラーで別の科目にする日がある。それは「定期テスト直前」の場合だ。テスト前日に、すでにテストが終わった科目の授業を受けている余裕はちょっとないって子も多い。だから翌日の科目の中でやりたいものを聞いて、その指導に切り替えることがある。これは正確には「契約内容不履行」だけど、このくらいは許してほしい。
その他、生徒から希望がある場合はそれも検討して変更することもある。例えば、指導科目の内容が十分に身に付いていて、別の科目を勉強したいと希望があれば変更することもある。小回りの利く個人塾なのでやりたい放題だ。でもこの場合、「指導科目が十分に身に付いている」ことが前提(私基準)なので、希望しても断られることがある。そのへんはご了承いただきたい。契約内容の間隙を縫って行う「闇授業」にも、通さなければならない筋はあるのだ。
定期テストの勉強は、学校のワークベースで行うべきだ。だからワークの進捗で勉強の状況を聞く。
日ごろから「ワーク7周」と言い続けているが、今回はテスト1ヵ月前になって、
「平均点を超える為にも最低でも3周はしようね。」
という話をした。「ドアインザフェイス」(最初に無理目な要求をして、その後に受け入れやすい要求を通すテクニック)っぽくなってしまったけれど、ワーク3周で学校の平均点超えは割と現実的なラインだと思う。
1ヵ月前にスタートして初めの1週間でワークが1周していると、残り時間で7周くらいできるだろう。しかしスタートで出遅れるとそれはちょっと難しい。そこで、現実路線として生徒たちにはワーク3周からを目指させようとした。
生徒のテスト勉強は「ワークの進み具合」で聞く。
生徒に
「ワークどのくらい進んでる?」
と聞くと、「半分くらいです」と返ってくることがある。この場合、半分をまず越えていないのが世の常だ。学校の提出があるから少しは手を付けているが、自分の勉強としてはほとんど自主的に進められていないと見ていいだろう。つまりまだ勉強が始まっていないわけだ。だからいつまでに1周目を終わらせるか、具体的に決めて宣言してもらうようにした。
今回の期末テスト前の生徒たちの進捗状況は、ハッキリ言って芳しいものでは無かった。テスト2週間前を切ってもこの、「半分くらいです」という子が多く、特に新しい子たちの出遅れ感は否めなかった。今年は、この改善にも取り組んでいかなくてはならない。
塾の先生になった時の話。
大学生になり、講義の履修登録が終わってすぐに、アルバイトを探した。
当時バイト探しには、アルバイト情報誌を見るのが一般的だったと思う。私は無料のタウン情報誌を拝借してきて、その中の「塾・スクール」の項目を見た。いくつか載っている中から、ある塾に電話した。
すぐに日取りが決まり赴いた面接の最中に、
「採用だから明日から来て」
と言われた。今思うと、生徒数に対して私以外のアルバイトは1人しかおらず、どう考えても回らない。もしかしたら誰でも良かったのかも知れない。
とにかく、大学生になってやりたいことのひとつだった講師の職を運よく得ることができた。ここから私の塾講師生活は始まった。まさか「家から近いから」という理由だけで何気なく受けた塾に、その後の大学生活全てを捧げることになるとは思いもよらずに。
1学期期末テスト前の中学生について思ったこと。
定期テスト勉強はシンプルだ。学校のワークをきちんとできるようにするだけで良い。
学校のワークが一通り解ければテストで80点くらい取れるし、通知表も4が付くだろう。多くの子がここを目指している。通知表で5を狙っている子や学年順位の上位を狙っている子はそれに応じてやるべきことが増えていくが、基本は学校の教科書とワークの習得だけだと考える。
自分の中学生時代を思い返してみてもそれしかやっていなかったし、それ以外の部分は塾のような場所が担うものだと思う。それ以外とは、ひとつは「上位を目指す」場合、そしてもう一つは「学校のワークが解ける」に支障がある場合だ。
だから、今回の期末テスト前も生徒たちには
「ワークどのくらい進んでる?」
と、ワークの進捗を聞く形で確認をしていた。こうすると、生徒の学習の様子で見えてくるものがある。
同級生の子に勉強のコツを聞かれてはぐらかしてしまったわけだが、もし戻ってちゃんとアドバイスをするとしたら何を話すだろうか。
私は質の良い勉強はできていなかったと今になって思うけれど、量の話はできたかも知れない。量をこなせば裏切られないと思っていた。
ワークは全ての問題が完璧で答えられるようになるまで反復していた。これは誰かに教わったわけじゃなくて「そうしたくて」やっていた。5~7周くらいはやった。3周目くらいでだいたい全ての問題が身に付いた感覚はあったのだけれど、それ以降はスピードが上がるのが楽しかったし、それが効果的だった。
テスト2週間前から1日3時間、土日5時間勉強すると捻出できる勉強時間は50時間。1科目10時間程度だ(実際はちょっとサボったりしてもっと少なくなるが)。前半の1週間はワークを1周するのにかかってしまう。だから後半はその数倍のスピードになっていたはず。解答を考えたり思い出したりせず、反射神経で答えるところまで落とし込む作業だった。これがテスト中でも発揮できるようになると、ケアレスミスも減って来る。エラーは迷ったり考えが逸れたりすると発生するものだからだ。
また手を動かしたり声を出したりと、体を使った勉強は意識していた。毎回テスト前に大学ノート1冊は書きつぶしていた。単語・漢字・用語や計算、問題演習などグッチャグチャに埋めていく。何度か手首が腱鞘炎にもなった。音読も英語・国語の教科書は20回は行った。読みながら内容を暗記していった。自宅があまり集中できる環境でなかったので、自分の声を出していないと勉強できなかった。
私のやっていたことでアドバイスできるのはこれくらいか。私は風邪などもあまりひかなかったし、他の子よりも少し体力があった分有利だったと思う。果たして中学生時代の同級生の女の子にこれを話して、いったいどれだけ役に立つかは分からないけれど。
今日から富士中の1学期期末テストが始まった。
今日は富士中の期末テスト1日目、西中は明日からだ。塾生のできはどうだっただろうか。特に1年生は初めての定期テストということで、自分の認識とのギャップを感じたりもしているかも知れない。
先ほど作業中に、外を歩く中学生の声がしていたのでもうみんな自宅には着いているはずだ。塾はもう開いているので、すぐにでも自習に来て明日の確認を始めて欲しい。テストは2日間だからね、休んでいるヒマは無いのだ。
塾で自習をしたことのある子は、自宅よりもずっと集中のしやすいことg分かっているはずだ。今日頑張れば、明日のテストの点数を10点は変えられる。是非やり切ってほしい。
今日はみんな頑張った!
今日は1人を除き、中学生と高校生が塾に来て勉強を頑張っていた。さすがに富士中生は明日から期末テストが始まるからね。
授業があった子は、明日の科目に合わせてやれることをやった。満足のいく結果が出ることを願う。
それにしても、あらためて勉強は「常にコツコツ」進めるべきだ。直前になってからでは間に合わないし、テストが終わった途端にパァ~と勉強のことを忘れてしまうとだんだん遅れていくことになる。
今日帰りに
「期末が終わったら、自習ですぐに次の小テストの準備をするべきですか」
と聞きにきた子がいたけれど、できるだけそうして欲しい。期末テストの直しや学校の授業が止まっている間にやりたい勉強があればそちらを優先してもいいけれどね。くれぐれも、終わった直後の授業を遊びのために休んだりしないように。(そういう生徒ほどテスト前もたいして頑張していないものだ)
まずは明日からのテストをしっかり乗り越えてほしい。
同級生女の子に勉強のアドバイスを求められたけど、恥ずかしくてはぐらかしてしまった。今思えば小粋なアドバイスができたほうが絶対にイケメンだった。
それはさておき。
では当時の私が何か勉強に工夫をしていたかと言うと、本当に何も無かった。睡眠時間はだいたい4~5時間くらいだったので、その子に答えた「よく食べてよく寝る」も間違ってるし。
かといって、何もしなくてもできる天才だったかというとそれもない。テスト2週間前からは毎日3時間ずつ、土日は5時間くらい勉強していた。たぶん「やるべき時はやる」というごく当たり前のことをしていただけだろう。
ただその子ほど真摯に勉強と向き合ってそうしていたのかと問われると、それも自信がない。なんとなく「そうするのが当たり前」と思っていた。なぜならば、私の兄がそうしていたのを見ていたからだ。「当たり前の基準」は家族の影響を大きく受けるのだと思う。
オ、オラこんなこと聞かれたの初めてだでよォ。
中3の時、同じクラスの女の子から
「どうすれば勉強できるようになるの?」
と質問されたことがある。その時はなんだか気恥ずかしくなって、
「たくさん食って寝ることかな」
なんて言って適当にはぐらかしてしまった。そうしたらその女の子は、
「もー、○○もそう言ってたんですけど!」
と、他の生徒の名前を出してプンスカしていた。いやはや申し訳ない。
今になって思い返してみると、本当に頭のいいのはこの女の子のほうだ。ライバルとも言える同級生に素直に教えを請える謙虚さ。いくつかのサンプルを用意して比較検討しようとする行動力。自分のやり方を改善しようとする向上心や、それに気付ける俯瞰の目も持っている。正直言って当時の私よりもずっと優秀だと思う。
この瞬間にもゲームやスマホをいじっている生徒だっている中で。
今日は教室を開けると、小学生の子が自習に来ていた。学校の宿題かな、いいね!その後中学生がやって来て、期末テストの為の勉強を頑張っている。
今自習に来ている子は、習い事が定期テスト3日前になってもある、いわゆる「忙しい生徒」だ。でも誰よりも塾に自習に来て勉強している。中学生の塾滞在時間は間違いなくトップだ。
ちょっと忙しいくらいのほうが時間を無駄にしない意識が芽生えるのか、それともこの子の性質なのか。いずれにせよ、こういう生徒は全力で応援したい。
2022年度の、中学生がなりたい職業ランキングは、男子が1位「会社員」、2位「公務員」、3位「ITエンジニア」。女子が1位「会社員」、2位「看護師」、3位「医師」だそうだ。
自分が塾の先生になったのは、中学生の時に通っていた塾の先生方の影響だ。
英語の先生は教室に入ってくるだけで空気が張り詰め、そこからはまさに独壇場だった。学校の何倍もの速さで展開していく授業。板書を写す速度が間に合わないので、英語はその先生に合わせ筆記体を覚えた。理科の先生は授業中、集中を途切らせることを一切許さない方だった。板書されている時は膝に手を置いてそれを見る。よそ見をすることは許されない。少しでも目線を逸らしたりしようものなら、
「おいテメェどこみてんだよ」
と怒号がやってくる。そして説明が終わり、「じゃあ写して」の合図とともに必死になってノートに写す。与えられる時間は2分だけ。その静と動の切り替えが受けているコチラも心地よかった。
そういった緊張感のある授業を展開される先生方も、ひとこと雑談を挟むと途端に人間臭い一面が顔を出す。趣味の話、好きなものの話、いろいろと聞かせてもらった。その中には学校の先生では絶対にしないようなスレスレの話題もあり、私が初めて「大人って楽しそうだな」と思えたのもこの時だった。
濃密な時間だったと思う。その時に抱いた憧れを、もう少しだけ追い続けることになりそうだ。
本。
小学校高学年までに身に付けて欲しいと思うのは、ズバリ「読書の習慣」だ。英会話でも旅人算でもなく、本を読んできてほしい。
これがあると無いとで、学力の伸び方に雲泥の差がある。「読書は読解力に関係ない」とする意見もあるけどとんでもないと思う。やはり知っている言葉の数というのは、入って来る知識を受け取る能力に直結しているのだ。
まず教科書や解説を自分で読めるかどうかで、トップ層に入れるかどうかが決まると思う。また話を聞いて頭の中で言語化できているか、そして暗記の早さや記憶の持続力にも読書量が関係があると感じる。
どのくらいが分岐点になるかは分からないけれど、少なくとも小学生のうちに100冊本を読んだ子とそうでない子には明らかな違いがあると思う。小4から月に3冊ペースで軽く超えられる量だけれど、このくらいでも変わるんだろうなと思う。
さあ、勉強勉強。
今日は、中学生たちの期末テスト前最後の土曜日だ。高校生にとっても直前の土日だ。教室を開けるなり高校生たちは続々と自習に来ている。さすがだね。中学生はまだまだ少ないね。どんどん来よう。
この土日の過ごし方でテストの順位が大きく変わるだろう。ここで身に着けた単語、解けるようになった問題がテストでも出題されるはずだ。不安なところを残さないように、完璧を目指してほしいと思う。
勉強の内容だけ教えていれば成績が上がるわけではない。
勉強の出来は、どこまで自分を管理できるかで決まる。
定期テストの場合、まず試験範囲を把握する。そして目標を決め、自分の今の学習状況を確かめる。そこからテストまでの残り時間を捻出し、その中でできる計画を立てて進める。なんだか難しくなってしまったけど、要はテストに間に合うように自分を管理できるかどうかだ。
だから中学生たちにはよく、「テストまであと何日?」や「テスト範囲何ページまで?」といった質問をする。上で挙げた、テストに対する序盤の自己管理能力チェックだ。生徒がそれに答えられるようになるかどうかは成績に大きく関係してくる。
実は、テストまで1週間を切った今ですら、まだそれに満足に答えられない子も結構いる。親御さんからすると「信じられない!」と感じるかも知れないが、その信じられないことが目の前で起こっている。つい先日も、全くテスト範囲と違う所を勉強している子がいた。ホラーだ。夢なら早く覚めてほしい。
まずはそのあたりからちゃんとできるように意識を持たせることをしていかねばならない。テストの点数うんぬんの前にやらなくてはいけないことだ。
本人からは「ほっとけ!」って言われそうだけど。
私たち塾人は、通ってくれている生徒の成績を肩代わりしてあげることはできない。入試を代わりに受けてあげることもできないし、成績に関することで受けるいろいろな不利益を代わりに防いであげることも当然できない。
そしてこれは親だって同じことだ。自分の子供の勉強を代わりにやってあげることはできないし、宿題などを手伝ってあげてしまうと、その子の力を奪うことになっていくから代わりにやってあげることはできない。しかも自分の唯一の子供に関することだ。その心配や思いは私が抱えている以上のものがあるだろう。
だから当事者でないのに心配しちゃうし、悔しく歯噛みもしてしまう。やるせなさに襲われて、ついため息も出ちゃうのだ。自分のことならば受け入れ、諦めもつくのだけどね。
こういうの嫌いじゃないよ。
今度の期末テストで「満点を取る」と宣言してくれた中1の子がいる。いいね!
とは言え、昨今のテストは1科目でも満点を取るのは難しくなっている。学年を見渡してみると、どの科目もせいぜい2,3人だ。応援はしているけれど、正直そんなに甘くはない。
そこでこの子に期待したいのは、少年漫画によくあるパターンだ。
「自分最強!」と名乗りを上げてみたけれど、超強いライバルが出現し一度は敗北する。そこで自分の小ささを知り、1から修行をして再挑戦し見事勝利する、みたいな。
今回が初めての定期テストで、まだ今は自分の順位も分かっていない状況だ。満点を取れるかも知れないけれど、もしかしたらその道の険しさに打ちひしがれるかも知れない。
でも、もしもダメだっとしてもそこで発奮して今以上に勉強に打ち込むようになってほしいと思っている。これが少年漫画の主人公だ。瞬間最大の100点よりも、連続して90点以上のほうが価値が高いということもある。最高を目指しつつ、それを継続していってほしい。
適度なプレッシャーは必要だ。
私の場合、何かが「身に付いたなー」っと感じるのは、だいたい困ったときの後だ。
料理にせよバスの乗り継ぎにせよofficeソフトの使い方にせよ、必要に迫られて困ったときに必死になって身に付ける。なんとも情けない話だけど、割とそういうことが多い。
昔、いくらやっても英単語が全然覚えられず、学校の成績も下から数えたほうが早い生徒がいた。いくら授業で指導しても翌週にはすっかり忘れていて、またゼロからやり直すを繰り返していた。その親御さんも
「ウチの子には勉強を教えても意味が無いんじゃないか」
と言い出す始末だった。
その子の高校受験、面接があった。その準備として面接練習をすることになったのだが、自己PRを一緒に考たあと、
「すぐ練習やるから覚えて」
と言ったら、ものの数分で完璧に言えるようになったのだ。英単語ひとつ満足に書けないくらいだったのに、「受験が迫っている」そして「すぐに言わなくてはいけない」という状況がその子の本来の力を引き出したのだろう。本気で困るような、差し迫ったプレッシャーは人を本気にさせるのだ。
目的は同じ。
英語の問題を解くときに分からない単語が出てきたら、
「辞書を引きなさい」
「調べてはいけません」
を使い分けている。新しい文法を教えてその演習などでは辞書をひかせるし、テスト対策演習では引かせない。
英語の学力には語彙力が欠かせない。問題の中に出て来た単語くらいは全て分かる状態でなくてはいけない。だからそこで出てきた知らない単語は辞書を引く。教科書の巻末の単語集で調べようとする子もいるがそれは禁じて辞書を取りにいかせる。その時に「面倒臭いなー」と思ったりすることで身に付くこともあるだろう。
一方テスト対策演習の時はすでに学習範囲の内容が終わっていて、そこで出てくる分からない単語は「身に付いていない」ものだ。そこを辞書を引いて答え、うやむやにしてはいけない。だから「そのまま丸付けしなさい」と伝え、自分の定着状況を確認させる。一見反対のことを言っているように感じるかも知れないけれど、生徒の語彙力を鍛えるという目的は同じなのだ。
高校生の期末テスト勉強は静かに進む。
高校生たちの期末テストも近づいてきた。授業でも、その為のチェックの申し出や質問が多くなってきた。
もくせい塾に中学生の時から通ってくれている高校生たちは、もう何も言わなくても自分でテストの準備が進められている。毎日のように自習に来て勉強し、当たり前のように上位の好成績を取ってくる。私の目指す指導の完成形とも言える振る舞いだね。
でも、それでも改善点はいくらでも見つかる。だから本人の勉強のスタイルを壊さないように、少しずつアドバイスしている。ショートケーキの上にイチゴを乗せるようなというと繊細過ぎるけど、アドバイスを上手く取り込んで勉強に役立ててくれている。
質問をするにも準備が必要だ。
話が具体的になればなるほど、その内容を押さえられているもの。
テスト期間なので、生徒とは勉強の進捗について話すことが多い。
私が
「ワークで分からない問題はある?」
と聞いたときの生徒の返答で、勉強の進み具合分かる。これは質問を吸い上げる意図もあるが、生徒の勉強の状況を確認にも使っている質問だ。
分からない問題があってこのタイミングで質問する子は、実はある程度安心して見ていられる。ちゃんと自分で分からない問題を洗い出せているので勉強が進んでいる証拠だ。
逆に
「ありません」
と答える子は危ない。そんなわけないのだ。毎年、この時期そこまで仕上がっている子はほとんどいなかったりする。つまりこう答える子の多くは、まだ1つ1つの問題と向き合えていないのだろう。
学校の定期テストは、学校のワークをきちんと身に付ければ通知表で4がつくくらいの点数は取れる。しかし直前になってもこの「質問は無い」の状態が続く生徒はそれが間に合わなくなる。だからテストまで1週間を切ったこの段階で質問が出るようにしておかなければならない。そのための1ヵ月前スタートなのだ。
時代だね~。
中3理科の教科書の章末に、「エネルギーの変換効率」の問題がある。
ガスコンロでお湯を沸かす問題で、鍋のお湯の上昇温度から水が受け取ったエネルギーと、ガスボンベが失ったエネルギーから効率を求める。
計算自体は算数だしなんてことは無い問題だけれど、中学生にとっては理科の計算は「公式当てはめ」な子も多く、「大学入試共通テスト」然とした対話形式の設問からも難しく感じると思う。
数年前からエネルギー変換効率の問題を見る機会が増えたけれど、解答がだいたい「30~70%」に収まる。実際のところもこんなものなのだろう。ガソリンエンジンなんて効率悪いものね。
「意外とエネルギーを無駄にしているんだな」
と生徒に感じてもらいたいという意図が伝わる、SDGsな問題だ。期末テストにも出るかも知れないので、しっかり復習しておこうね。
良かれと思ってやっていたんだけどね。
昔勤めていた塾では、
「自習に呼んで課題を出してください」
と保護者から言われることが時々あった。そのほとんどが成績が芳しくない生徒で、結果から言うと、これをやっても成績が伸びることが無かった。
今になって思うに、これじゃあ学力は伸びない。本人が何も考えることが無いからだ。中学受験ならばまだしも、生徒本人の頭越しに塾と保護者で話し合った学習プランは失敗しやすい。きっと本人にとって「やらされ感」を増すだけだからだ。やはり本人が考え、納得した方法しか効果的足りえない。当時は顧客満足度を得られると思ってやっていたが、成績を上げるという観点から見ると逆効果だった。
塾も保護者も、まずは生徒本人と話し合わなくてはいけないと今は思っている。
テスト期間。
今日の夜は多くの子が自習に来て頑張っていた。中学生の期末テストまで1週間なので、少しずつテスト前の様相を呈してきた。
正直に言うと、まだまだ動き出しが遅いなと感じる。1ヵ月前から声を掛け続けてきた身としてはね。でも、声を掛けてきちんと反応してくれた子たちがいるというのは嬉しく、指導のしがいもあるってもんだ。今回のテストが終わって、それで何かをつかんで向上していってほしい。
授業で見ている感じでは、どの子もそれぞれの勉強が進んでいる。残り日数で仕上がるように、きちんと追い込んでいく。
やるかやらないか、でしょ。
「勉強のやり方」が分かっていない生徒は「いない」と思う。
もちろん効率的であるとかそういう程度の差はあるだろう。でも根本的な「やり方」は、生きているうちに身に付いていることだ。それこそ絵を描いたり、自転車に乗る練習をしたり、テレビゲームをするのと変わりない。
ゲームでレベル上げをすることを例にとる。敵モンスターを倒し、経験値が溜まるとレベルが上がり能力が向上する。今のゲームはもっと複雑なんだろうけれど、これはそのまんま勉強のやり方だ。上手なやり方なんてやっているうちにどんどん身に付く。ただ主人公が「自分」になっただけだ。
だから「勉強のやり方が分からない」というのは、言葉通りの「勉強のやり方」が分からないわけではない。まずはそこに向き合わなくてはいけない。もしもそれでも「やりかたが分からない、というのならば塾の先生にこう言ってみてほしい。
「やり方を教えてほしい。言われたことは何でもします」
さあ、その勇気はあるかな。
質問力も鍛えていこう。
生徒から教科書の章末問題の質問を受けた。中2の数学だ。
見てみると、数年前くらいから私立高校の入試問題に出てきていたパターンの問題だった。こうやって入試で登場した問題が問題集に載って、というのが繰り返されるのが受験業界の流れだ。それを勉強する生徒たちも大変だね。年々解かなくてはいけない問題のレベルは上がっているんじゃないかしら。私の学生時代の教科書の章末問題なんて、簡単すぎて解けないレベルのものなんて1つも無かった。
それにしても、分からないものは質問して解決しテストに臨む。いつの時代でもそれができる子が一番伸びるのは変わらないね。がんばろう。
ラーメン屋のアルバイトの店員が解剖の話をしていたりね。
昨日は蕎麦が食べたくなり、探しながらブラブラしていたらランチに蕎麦を出している居酒屋というのを見つけたので入ってみた。
どうやら常連の客が集まる店だったようで、私以外は全員が仲良さそうに談笑していた。ちょっとだけ肩身の狭い思いを感じながらも、冷やしたぬき蕎麦を注文。
出て来た蕎麦をいただいていると、客の一人が大将に買ってきたハマグリの調理法を聞いていた。そして話はハマグリの中にいる寄生虫の話に。
「白くてニョロニョロしているのがいるんだよー」
と、楽しそうに話す女将さんと客。うん、なんとなく手が止まるよね。つるつるとしたものをすすっているときにやめてくれー。(勝手に人の話を聞いているほうが悪いんだけれども)
食べ物屋さんに入ると結構あるのだけれど、その業種にそぐわない話というのがある。私も失言が多いので、生徒に向けた話題には気を付けなくてはいけないと改めて思った。でも蕎麦は美味しかった。
そんなわけで生徒が掲げた目標に対して、その道が断崖絶壁であっても達成できるように鼓舞しようと決めたのだけれど問題もある。
それは、保護者と生徒の目標が異なっているときだ。親が主導で志望校などを決めていて、子供がそこまで本気ではないときはたいていうまくいかない。やるのは本人だからね。
だから、
「このあたりを目指しちゃったりして」
くらいの感じで親が志望校を挙げてくるのが一番怖い。こちらはその目標を達成するための道筋を描いて生徒に実行させようとする。だがこのときに本気なのは私だけという状況になってしまい、結局その計画は頓挫する。
私は聞いた目標に生徒を送り届けたいと思って指導をする。そこに「なんちゃって」はない。
今日は開けるなり2人の子が自習にきた。この後何人くるかな。部活が終わったらどんどんおいでー。
今週が実質、期末テスト前の最後の1週間だ。今週の過ごし方でテストの結果が大きく変わるので生徒にはそう思って行動してもらいたい。
この時期になったら、ワークの周回を続けつつ新しい問題にも手を出していってほしい。塾にはオリジナルのワークもあるし、そのほかにもたくさんの問題が用意してある。
土曜日に、ある子から
「等式の変形の問題ください」
と言われたのであげた。こうしてどこの演習がしたいのかをハッキリ言える子は勉強が進んでいる証拠だ。こういう子が増えればいいなと思う。
文法はできているので問題が顕在化しにくい。
中学生が入塾してきてすぐの頃にまず感じるのが、「英単語力の無さ」だ。
習った範囲の単語をチェックをしても良くて7割程の出来で、中にはまだ英単語を暗記作業すら未経験の子もいる。おそらく学校や他の塾ではそれほど単語の暗記に力を入れていないのだろう。
学校の定期テストでは、出題される語彙量が教科書レベル以下なので、それでもなんとなく点数を取れてしまったりする。しかし塾で問題演習をさせてみると、まあ解けない解けない。文法は分かっているんだけど、辞書調べが必要になっている。
しかし辞書で調べている語の多くが「小学校で習うはず」のものだったりもするので、なかなか根深い問題だと思う。(実際、中学で習う進出単語のほうが出来は良かったりする)
となると、入試の長文で出題者が「この単語は分かるかな?」と出してくるやや難語よりも、それ以外の地の文で書かれているところにつまづく可能性が出てくる。定期テストと模試や実力テストの結果に差が開いている場合、「中学では習うまでもない」と切り捨てられてしまった単語に原因があるかも知れないね。
頑張ってるね~。
今年度入塾組の中に、勉強をよく頑張っている子がいる。今日も教室を開けるなり自習に来ている。
学力を伸ばし成績を上げるには、まず考え方を変えなくてはいけない。今までの習慣を引きずっていると大きな変化は見込めない。入塾してすぐに自習を生活に取り込めたのは非常に大きい。「塾には勉強に行くもの」という考え方ができたのだと思う。
まだ入塾してからテストを迎えてはいないが、「絶対に成績が伸びていくな」と感じる。そんな子を見ていると、指導にも気合が入る。
明日は北辰テストだ。
正直今は期末テストが直前に迫っていることだし、中2も、中3ですら北辰テストの対策をきちんとできているものは少ない。まあ今の実力を知る為の機会にしてもらえればいいかな。
とはいえ、北辰テストは活用できれば強力なツールだ。受け続けてたまった問題の直しをすれば、それだけで公立入試の対策になる。北辰テストの出題範囲は幅広いので、中3の第1回から第8回までの問題でほぼ網羅される。また、記述や読解問題は普段触れる機会が限られてくるけど、北辰テストでそれも補える。
私も学生時代は模試の活用が下手くそだったが、これを上手に活用できればそれだけで学力を伸ばしていけるかもしれない。まずは受けたあとの解き直しを必ず行うようにしよう。
ウチの教科書、知りませんかぁ~?
塾のテキストが見当たらない。中2英語の教科書。生徒の誰かが借りたまま持って帰ってしまったのだろう。そろそろ一週間になるが、まだ返却されていない。
さて、このまま教科書がなくなったてしまった場合のことを考えておこう。
まず、私が授業で使うことができなくなる。今までは次の文法事項などをちょっと確認する時などに使っていたが、これができなくなる。まあこれは無くてもなんとかなるし大丈夫か。
そして次。教科書を使いたい生徒が使えなくなる。で、これは別にいいんじゃないかなと思える。実は今年に入って教科書の貸出率が上がっていて気になっていた。教科書を塾に持ってくるのを忘れる子が結構いたのだ。以前も書いたが、教科書などの道具は自前にこだわるべきだ。それを忘れた子が困る分には、「忘れ物をしない」という学びにもなるしいいかも知れない。
結論、なくてもいい。ただ、教科書の私の愛読書だ。欄外の細かいところを読んだり、内容の書かれ方から大人の事情を予想するのが結構好きなのでなくなってしまうのは寂しい。なので持って行った自覚がある場合は早急に返しておいてね。
提出物に追われてテスト勉強に手が付かないとか、もうね。
勉強には「慣性の法則」が存在する。
勉強のペースが上がって勢いが出てくるまでには時間がかかる。まるで、重いものを乗せた台車を押すときのように、止まり続けている物体(勉強のペース)は止まり続けようとするのだ。
だから定期テストの勉強も、ノッてくるまで3日くらいはかかると思っておいたほうがいい。(定期テストの学習でもこれだから、入試の勉強は勢いづくまで1ヵ月はかかると思っている)
それを踏まえて、「軽やかな」子は早目にスタートしている。定期テスト1ヵ月前にはもうテストを意識して動き出しているし、とりあえずその段階でできることに手を付け始めている。「テスト範囲が出てから」と、全部ガイドラインが分かってから動くのでは間に合わないことを知っている。
今日で富士中は期末テスト11日前、西中は12日前だ。今日になってテスト前はじめて塾の課題以外で自習に来た子がいるが、この子にはまだ10日ほどの時間が残されている。考えたくもない最悪の事態は避けられたと思う。まだ台車が動き出してない者はいないだろうか。
掲げる目標に対して、生徒本人の学習量が全く追いついておらず、その達成のために登るべき道が、断崖絶壁になっていることがある。
受験指導はある程度の期間がある。だからと言って、それをこちらの都合で無駄に消費させてはいけない。それがゴールにつながっていない道だと分かっているのに、本人の無理の無いレベルでなんとなくやって、
「頑張ったけど届かなかったね」
としてはいけない。登るべき道が見えているのにそれを登らせようとしないのは、嘘をついているようなものだ。講師が、
「このままじゃダメだよなー」
と分かっているのに、生徒が気付かない(もしくは気づかないフリをしている)のをいいことに、現状を維持し続けようとするのは生徒に対して不誠実だ。
そしてそれは生徒にも伝わるもの。こういう状況にあるとき、講師と生徒の間にはなんとなく空々しい空気が充満する。結局、生徒がその目標を掲げるのなら講師は考えうる最善を提供するしかない。
着々と生徒たちは勉強中。
中1と今年度入塾した子全員に、定期テストに向けて
「ワークを3周以上解くこと」
「自習に来て勉強すること」
の2点を伝えた。ひとりひとりに熱量を込めて語って回ったので結構消耗したけれど、その甲斐もあってか今日も自習の子が多く来て勉強を頑張っていた。
私の考えを書いておくと、まず家では集中して勉強できない。能力が無いとか見くびっているとかではなく、勉強に特化した環境ではないから当たり前なのね。だからテスト前は塾に来るのが最も効率的な勉強法だ。
それと、私は自分の目で見たものしか信じない。「家で勉強してます」というのは私の中では存在しないことなのだ。それでテストの結果を受けて「悪かった・下がった」と言うのは「そりゃそうでしょうよ」なのだ。自分の中で存在しないものに対しては責任を負えない。
そうならない為にも布石を打って回ったというわけだ。あとは生徒の頑張りに期待したい。
掲げる目標に対して、生徒本人の学習量が全く追いついておらず、その達成のために登るべき道が、断崖絶壁になっていることがある。
今では、それでも応援して壁を登らせようと決めているが悩むこともあった。例えば、
「無理だから諦めなさい」
と言って志望校を変えさせれば指導は楽だ。それで「全員第一志望合格!」と謳えば塾としての見栄えも良い。でもそれはできなかった。なぜなら、絶壁を登り切る子を見てしまったからだ。
今まで何度、
「それでも挑戦しますか」
と面談で確認してきただろうか。冷静に客観的に状況を見ると、こう言わざるを得ないこともある。しかしそれでもやる子はやる。それを知ってしまったからには、私のつまらない分析で挑戦を諦めさせるわけにはいかなくなった。
人に説明する体験を積む。
小6の子たちには、図形パズルを解いてもらっている。丸付けの時に、
「どうやったの?」
と、解き方の説明を求めているのだが、これがかなり力になりそうだ。
生徒は「こことここの長さが同じでー」と、答えに至るプロセスを説明することになるのだが、これがなかなか難しい。説明を求められるので、なんとなくで答えを出すことができない。また、その説明が結論まで一直線になっていないと伝わらない。
まさに論理的思考力の養成にはもってこいだと感じる。答えが合っていても説明に手間取ることもある。でもここで焦って教えてはいけない。生徒が納得のいく説明ができるまで、私はじっと待つ。その間、メキメキと思考力が伸びる音が聞こえる。
この子も半笑いでやってたし、冗談だよね?
生徒と、英語教科書訳の確認テストをしていた時のこと。
「…昼食をとりながら、私たちはその日の体験について話しました」
うん。
「そして、友達になりました」
うん。
「私にはこれが大切なことです」
うん。
「タイトルテキスト」
ん?
「要するに、私は…」
ちょ、ちょっと待って。今のところもう一度訳してみてくれる?
もう一度確認してみる。
「昼食をとりながら、私たちはその日の体験について話しました」
うん。
「そして、友達になりました」
うん。
「私にはこれが大切なことです」
うん。
「タイトルテキスト」
まてまてーい!
聞くと、私の作った和訳の動画がそうだったと。で、確認すると字幕にミスがあった。『タイトルテキスト』という文字を消し忘れていた…。でも。でもさ。
おかしいでしょ、スピーチ文の途中に話者がいきなりそんなこと言い出したら。恐怖だよ。そこまで忠実に再現しなくてよろしい。
道は険しいけれど。
塾講師として生徒を指導していると、
「目標まであとどのくらい」
が見えるようになってくる。受験指導で言うと、その生徒の学力を見て、志望校まで「あとどれくらい勉強する必要があるか」というのがある程度分かる。登山している人が今何合目にいるのかを、ヘリコプターに乗って見ているようなものかな。
もちろん生徒本人にもその力はあるのだけど、塾講師のほうがよりシビアに見ていることのほうが多いと思う。講師のほうが持っている情報は多いからだ。ここで本人の学力と目標地点が大きくかけ離れている場合、その間の道が「断崖絶壁」のようになってしまうこともある。
その絶壁を登らせようとはするのだけれど、生徒からすると「なんでこんなに辛いことをしなくちゃいけないんだ」となってしまうこともある。それで嫌われちゃったり。(でも聞いたときは「本気で行きたい」と言っていたのだけれどね)
このクライミング指導の覚悟が決まるまでには葛藤があった。
勉強は真似ることだけどね。
昔、家庭教師をしていた時に、お母さんから言われたことがある。
「最近子供と口喧嘩しても勝てなくなった」
続けてこう言われた。
「子供が先生の話し方に似てきたんです」
当時は、自分の頭の中を生徒に「移植」するつもりで指導していた。生徒が私の話し方に「似てくる」というのはそれが上手くいっていたのかも知れない。その子はメキメキ問題が解けるようになっていき、第一志望の高校に合格した。
ただしその弊害として、私の理屈っぽいしゃべり方がうつってしまったのだと思う。お母さんには申し訳なく思う。
さあ、みんな頑張ろう。
今日は多くの中学生高校生の多くの生徒たちが自習に来て勉強を頑張っていた。
中学校の期末テストまであと2週間なので、エンジンがかかってきたのだとしたら嬉しい限りだ。しっかり応援していきたい。
また、授業などでも生徒たちには勉強の話をどんどんしている。中1は、まだ何をしていいかあまり分かっていない子もいると思う。だから自習に誘っていく。まずは第1歩を踏み出すことが大切だ。
夕方は暑くてエアコンをつけていたのだけれど、夜になって「いらないかな」と思い途中で消したのだが、暑そうにしている生徒もいてまたすぐにつけた。熱気がこもっている感じがして、すこしずつテストに向けたボルテージが上がっているような高揚感を感じた。さあいくぞ、という気持ちになる。
学校の先生はやさしいなぁ。
中学生諸君、テストの「範囲表」は読み込んでいるだろうか。
学校から配布されるテスト範囲表には結構いいことが書いてある。特に勉強のアドバイスはしっかり読んで、肝に銘じてほしい。
「教科書は覚えるまで音読」「ワークは3周解く」など、テストの点数を伸ばすのに必要なことを学校の先生もおっしゃっている。ここをスルーして勉強の王道を歩むことはできない。
また、その内容には「これがテストに出るんだな」と分かることも仄めかして書かれてる。もうテスト内容が出ちゃってるようなもの、あとは気づくだけだ。(しむらー!うしろー!)
ある子に聞いたら、
「ワークのページ数しか見てませんでした」
と言っていたが、それでは勿体ない。テスト範囲表にはテストの点数を伸ばすヒントがちりばめられている。
期末テスト勉強へのモチベにしてね。
この時期恒例の、
「定期テストの順位がどのくらいだと、どこの高校を志望できるか~越谷市内の公立普通科編~」
を書いておきたい。
高校の合格偏差値のめやすをもとに、学校の定期テストの順位だとのくらいかを算出する。先に言っておくがまったくの暴論だ。毎年これに当てはまらない子が普通に出てくるからね。でもそのあたりは例外としていってみたい。
越谷北高校:偏差値65(上位7%)
生徒数が240人の中学校ならば上位17番以内、160人の中学校ならば上位11番以内。
越谷高校:偏差値62(上位11%)
定期テストでは、生徒数240人の中学校ならば上位26番以内、160人の中学校ならば上位18番以内。
越谷南高校:偏差値57(上位24%)
定期テストでは、生徒数240人の中学校ならば上位58番以内、160人の中学校ならば39番以内。
越谷西高校:偏差値52(上位42%)
定期テストでは、生徒数240人の中学校ならば上位101番以内、160人の中学校ならば62番以内。
越谷東高校:偏差値47(上位62%)
定期テストでは、生徒数240人の中学校ならば上位149番以内、160人の中学校ならば99位以内。
うん、全くもって暴力的だった。実際はもっと低い順位でも合格している。この辺りの中学生は偏差値を知るには北辰テストを利用する子が多いと思うけれど、北辰テストの生徒分布は正規分布とは程遠いし、参考にした偏差値が少し高めだ。実際にはこの順位よりも20~30番くらい低くても合格している。ただし、その順位以内をキープしていることが必要だ。1回入っただけじゃ心許ない。そのへんを踏まえて是非与太話程度に参考にしてほしい。
学ぶのは楽しいけれど、テスト勉強は嫌だった。
中学生時代、テスト勉強をするのはストレスそのものだった気がする。「やらなきゃ」と「でも面倒臭い」がいつも綱引きしていて、重い腰を上げてしぶしぶ机に向かっていた。
今ならば、
「そんなに嫌ならやめちゃえ」
と思うのだが、それでも勉強はした。なぜなら、テストは受けた「後」があったからだ。
答案を返却さされると、いつもクラスや部活で私をライバル視してくる子たちが「答案を見せろ」と迫ってきた。そして始まる「勝った」「負けた」の大騒ぎ。だから悪い点数を取るのは「恥ずかし」かった。もちろんそういう輩には勝ちたいし、負けるとしても「いいカンジ」に負けたかった。答案を見せろと「言われなくなる」のは嫌だった。
勉強のストレスに立ち向かえたのは、そういったライバルの存在があったからかも知れない。負けず嫌いだった。
期末テストは副教科もあるので、早目に手をつけなくては間に合わない。
期末テストが近づいているので、生徒には「勉強をしましょう」という話をしている。
もくせい塾に長くいる子たちは、とっくにテスト対策モードなので今更言うことは無い。しかしまだ入塾したてで今までの習慣が沁みついてしまっている子たちはまだまだのんびりしている。見ていてこちらのほうが焦るよ、まったくもぅ。
しばらくは繰り返し説得を続けるしかない。塾ではすでにテスト前のスクランブル状態だ。いつでも出撃できる。あとはパイロットが機体に乗り込むだけだぜ。
針に糸を通すかのような正確さ。
精神的に成熟している子は学力が高い傾向にあるが、落ち着きとともに、「意識の張り巡らし方」も変わってくるようだ。
問題を解く時に、目の前の問題文の隅々まで意識が行き届く。読み飛ばしや読み間違いが少ない。途中の式にも意識が向いており、ミスしたらその場で気づくことができる。そもそも、普段授業を受けている時から意識が授業に向けられており、自分の頭の中と目の前で展開されている授業内容がリアルタイムでリンクしている。だから不明な点にすぐに気付くことができ、「分からないところが分からない」とはならない。学力の高い子は意識が隅々まで張り巡らされている。
塾で生徒と見ていて気付くのは、「学力の高い子は行動にエラーが少ない」というものだ。たとえば生徒ごとに用意されている生徒ファイルを棚に戻すとき、上下が逆さまになっているのは決まって成績の良くない子だ。忘れ物にも同じ傾向がある。成績の良い子は塾に来るときもスルッと入って来てスルッと勉強していく(もちろん挨拶などは大きな声でしっかりしてくれるのだが)。エラー音を立てないので、普段の生活ではあまり目立たない。
そういう、指先にまでしっかりと意識が行き届いているような子は丁寧な作業ができ、それゆえ学力も高くなる。中には指先を飛び出して、使っている道具にまで意識が行き届いているような子もいる。こういう子は所作が美しくすら感じる。その道をすでに極めつつある人の振る舞いだ。
講師の実力って、小学生の授業で出るよね。
小学生を指導していて、中学生や高校生を指導するよりもずっと難しく感じる。
もちろん小学生の学習内容は中高生のそれに比べて易しくはある。でも、だからと言って
「中学生を教えられるんだから、小学生は教えられるでしょ」
とはならないものなのだ。むしろ大人にとって「当たり前」になってしまっていることを説明するのは意外と難しい。
なぜなら、小学生に合わせた説明の仕方というものがあるからだ。「オジサン構文」ならぬ「小学生構文」を使わなくてはならない。学年が上がると、生徒の側にもある程度理解度が備わってくるので、こちらの「日常会話文法」で伝わるものも多くなる。しかし小学生の場合はそうはいかない。
「注意のひきつけ方」「話し方」「速さ」「間の取り方」「説明の簡潔さ」「たとえの分かりやすさ」…。小学生の授業は、さまざまな技術を要求されるものだ。まだまだ修行せねばならない。
頭の中も体の一部だしね。
塾の仕事は、整体師に似ているのかも知れない。肩が凝っている人をマッサージして、少しずつ健康にしていく。
入塾したばかりの生徒と見ると、「ここが悪いな」と思えるところがわりとすぐに見つかる。「途中式を書かない」や「暗記をやらない」「話を聞かない」「手を動かさない」など、たくさんの症状を抱えてやってくるのだ。
その改善策を具体的に教え、お手本を見せて、実際にやらせてと、少しずつ「整体」していく。その患部の症状が和らいでいくにつれて、学力にも変化が見られるようになる。
生徒が抱えてくるそういった問題はその子の生活環境によって生まれているものなので、放っておくとまた症状がぶりかえしたりもする。だから継続することが必要だし、習慣になってしまっているものは一朝一夕には完治しない。時間がかかるところも東洋医学的だなと思う。薬を飲んで「はい、治りました」とはいかない。
中学生の期末テストまで3週間を切った。
1学期の期末テストが近づいてきている。
ここのことろ生徒の勉強の様子を見ているが、やはりもくせい塾に長くいる子たちはしっかりテスト勉強のスタートを切れている。もうテスト範囲のワークが終わっている子もいるしね。
一方で今年度からの入塾・中1に進学組はどうかというと正直なところ個人差が出てしまっている。やっている子は明らかな変化がみられるが、相変わらずの子もいる。
本当に勉強で成績を上げたいと思うのなら、今すぐに変えてゆかねばならない。それも「少しずつ」なんて悠長なことを言っている場合でもなく、それこそ180度景色を一変させるくらいの変わり方を見せなくては結果はついてこない。どうせ家では勉強しない。まずは自習に来てみよう。今ならまだ結果を変えられるだけの時間はある。
はい、並んでー。
授業は読んで字のごとく「業」を「授ける」行為だ。生徒に新しい知識や技術を習得してもらう。しかしその受け取ることができる量は生徒ごとに違うので、その後の伸びに差が出る。
イメージとしては、給食の配膳で生徒の持っているお椀にお味噌汁を入れていくようなもの。できるだけお椀にいっぱい、なみなみと注ぎたいんだけど、そのお椀の大きさに違いがあるのだ。なみなみにするとこぼれてしまう場合もあるし、中にはお椀が欠けていて、注ぐそばから漏れていってしまう子もいる。しかし一方で「お相撲さんの祝勝会かな」っていうくらいのお椀を持っている子もいる。それなのに、注ぐ瞬間によそ見をしていて、お味噌汁を床にぶちまけてしまうような子もいたりね。
動画を見て小テストをする仕組みを作ってから、その違いをよく感じる。動画で勉強した内容ならば、こちらの用意する「味噌汁」の味と量は一定だからね。でもそれを十分に受け取れない子というのがいて、入れたはずのお椀の中に具が入っていなかったり、ちょびっとしか入っていなかったりする。そういう子には、「おかわり」のしてもらったり、お椀を大きいものに交換させたりする必要が出てくる。いろいろ仕組みは作ってきたけれど、全部自動的に配膳なんてできないものだ。ここに対面式の学習塾の存在意義がある。
その質問は。
問い合わせ時にされる質問で、答えられないのが、
「どのくらい成績が上がりますか」
と言うものだ。
成績は、テストの順位か偏差値で測ることが多いと思う。でも(同じ点数の場合は除いて)全員が同じ順位・偏差値になることは無い。母集団ありきの位置だからね。だから
「次の期末テストでは10位になれます」とか「偏差値70になれますよ」といったことは言えないのだ。また、その生徒の現時点での学力や勉強に割ける時間などの状況によっても効果は変わる。「だいたい50位は上がりますね」といったことも言えない。
そういうわけで、なんとなくお茶を濁したような
「そうですね、100番以上順位を上げた子もいれば、全く上がらなかった子もいます」
といった返答になってしまう。塾に入ったから効果が得られるというわけではない。「スマホを買った」からと言って今日からオンライントレードやyoutuberとしてお金がバンバン稼げるわけでも、インスタのフォロワー数が何万人にもなるわけでもない。それを使ってどうするのかは自分次第ということだ。
ただ、こういう質問は「不安な」時にされるのだと思っている。だから塾の仕組みを説明して、「これなら大丈夫そう」と思ってもらうしかない。
ここからなら聞こえるかな。
「過干渉」と「無関心」は、子供の成長を阻む原因だ。一見反対のことに思えるけれど、どちらになり過ぎても上手くいかない。ほどよい距離感があるはずだ。
勉強に関しても同じで、生徒の勉強に手を出し過ぎてしまうと依存体質になってしまうし、「勝手にやって」と突き放し過ぎては当然伸びない。
なんとなく感じているのは、
「見ているよ」
というメッセージが伝わるくらいの距離がいいということだ。これは生徒ごとに異なる。かなり遠く離れてもきちんと感じていてくれる子もいれば、逆にベッタリしないと伝わらない子もいる。中にはゼロ距離でも聞こえていない子もいたりして…。
いずれにせよ、生徒をよく見ることが大切だと思っているし、そのメッセージは出し続けたいと思っている。
良い思い出だね。
先週文化祭だったこうこうもあるようだ。私の母校もそうだった。
後輩の子に尋ねたら、
「楽しかった」
と返ってきた。母校の文化祭は学校行事の花形だ。今年はなんでも過去最高の動員数で大盛況だったようだね。
男子校ならではの、女の子を誘ってのフォークダンスも復活したようで、
「誘った?」
と聞いたら、
「はい」
と返ってきた。くぅ~、若いっていいね!
今高校3年生の子にとっては、初めての文化祭だった。コロナ禍によって奪われたいろいろな楽しみもあったことを思うと、少し胸が熱くなるものを感じる。良い思い出になったようでなによりだ。
コツコツやってる子の逆襲。
中学生の期末テストまで3週間を切ったところだ。生徒の中には、すでに国語のワークの進んだ所までの暗記ができている子がいる。他の科目も、進んだところまではだいたい終わっている。
この生徒は、中学生になったばかりの頃はまだテスト前にワークを終わらせることすら覚束なかった。当然漢字の勉強なども不十分なままテストに臨み、結果撃沈するということを経験した。
そこから少しずつ勉強の仕方が改善していき、今では塾生の中で先頭を走っている。失敗の痛みを知り、どうすれば上手に立ち回れるかを自分で考えたのだろう。英語や数学の勉強も堅実にこなしてきた。
もうすぐ成績に大きな変化が訪れるな、と感じる。
苦手科目を克服しよう。
生徒の学習記録シートを見ていると、本人の得意不得意がよく分かる。得意に感じている科目の勉強時間や頻度は多くなり、苦手科目を積極的に勉強している子はやはり少ない。
当然ながら、科目の得意不得意はその学習時間が大きく関わる。程度の差こそあれ、どの科目でもやればやるほどできるようになる。
だから、「苦手科目は『嫌い』」
ではなくて、
「『嫌い』だから苦手になる」
ということが言える。もちろん最初はどこかでつまづいたのが原因かも知れない。でも嫌いになったから遠ざけ、それゆえさらにできなくなっていくのは間違いない。
塾生たちの学習記録を見ていて、苦手科目に手をつけていない時はそのことを指摘する。そして少しでも取り組んでいたらそのことに触れ、誉めるる。苦手意識の既にある科目を好きになることは難しいかも知れない。でも、嫌いという思いを一旦横に置いて取り組むことはできるはずだ。それが苦手科目克服の第一歩になる。
さあテストに向かって準備だ。
中学生の期末テストまであと3週間だ。高校生は4週間くらいのところが多いのかな。授業では、すでにテスト範囲を終えた子たちがどんどんテスト対策に入っている。
もくせい塾ではテスト対策といっても普通に復習を行うだけだ。いわゆる「定期テストの過去問」は使わない。
もしも定期テストでそれと同じ問題が出たとする。塾で「過去問」を解いた子は得点することができるかも知れない。しかし、そこで「知っている問題だから」できたというのでは、きっと本物の学力にはならない。事前に知らされていないとできないのでは、入試や模試で得点することはできないだろう。むしろ楽させてしまった分、初見の問題を解決する能力を奪うことにもつながりかねない。要はカンニングだからね。
もくせい塾の高校受験生には、入試の得点開示を見させてもらっている。結構過去問演習で取っていた点数よりも高い結果をたたき出してくる子が多い。本番で最高のパフォーマンスを出すには、普段から「何が出るかな」と考えながら勉強しておく必要があると考える。
斜にかまえずにね。
学校で行われた、中2の子たちの「枕草子」暗唱テストは、ちゃんと「春初秋冬」全部チャレンジしてくれたようだ。
暗唱テストは「春」だけ言えれば一応OKということだったようだけれど、「それじゃダメだ」と言っておいて良かったと思う。学校の成績は定期テストのみで決まるにあらず。平常点も意識しておくに越したことはない。
学校の先生はしっかり「見て」いる。成績を付けるときの「関心・意欲・態度」の部分は大きい。これだけで通知表が4か5か分かれちゃうからね。よく「学校の先生に嫌われている」と言う生徒がいるが、それは性格の良し悪しではなく、授業に対する姿勢の部分だと捉えるべきだろう。そう、一生懸命じゃないところが「嫌われて」いる。これを学校の先生のせいにしないのが成績優秀者の格、つまり、本気で楽しんだもん勝ちだ。
実は結構いる。
昔働いていた塾で、こんな保護者様がいた。
定期テストが終わり答案が返却されるたびに電話がかかってくる。「いかがいたしましたか」と聞くと、
「なんでうちの子はこんなに点数が低いのですか」
という。子供の得点に納得いかないのだ。
しかし、実際の所は20点近く上がっている。入塾時は50点だったものが70点を超えてきた。話を聞きつつそれを伝えると、
「でも『お姉ちゃん』はもっと取れていた」
と言う。どうやら姉妹で比較しているらしい。姉は90点くらいとれていたのに、なんで妹は「これしか」取れないの、と。姉妹であってもそれぞれが独立した個人なんだから、その比較に意味があるとは思えないのだが。そのこだわりは少し怖かった。
この生徒はなかなかの努力家で、自習に来るよう伝えたら毎日のように来て勉強を頑張っていた。担当していた講師もその都度一緒に勉強を見ている。その成果は確かにあった。
しかし親がそれを認められていないというところが悲しかった。まるで、子供本人ではなく、その向こうに何かを見ているかのようだった。結局その子は親の意向で途中退塾をした。今ではもう分からないが、その後幸せに暮らしていてほしいと思う。
用途に応じた使い方を。
教室で使っているアイパッドの調子が悪い。ホームボタンや音量ボタンは反応するのだが、タッチが反応しない。画面に触ってもうんともすんとも言わなくなってしまった。
そういえば昔やったなと思い、リセット操作をしてみたらなんとか再起動でき、タッチ操作も復活した。ふぅ。これは古い型だからホームボタンとかもあってリセットできたけれど、新しい型ではホームボタンとか無いからリセットとかどうするんだろうか。
それよりもこのアイパッドさんだ。さすがに年季も入ってきたことだし、そろそろ買い替え時か。
それとも、もしかして線を引く時に、
「世界一高いじょうぎだよ」
なんつってこれを定規替わりにしたりしたのでへそを曲げてしまっただけなのか。道具は大切にしなくてはならない。
さあ、最初の難関に突入だ。
中1の数学で、文字式に入る子がでて来た。
ここが第一の関門だ。これまでの正負の数は具体的な計算ばかりなのでまた簡単だ。
しかし文字式に入ると途端に抽象的な概念になり、躓く子が出てくる。中1の1学期のテストとそれ以降のテストで平均点が大きく変わるのはこのためだろう。文字式の計算はただの作業なのでまだいいが、文章を式に置き換える問題が難しい。小6でもやってはいるのだけれど、中学のそれはパターンが増えるので覚えて解いていた子などは対応するのが難しくなる。
しかもテストでは文字式も計算がメインになることが多く、文章から文字式を作らせるような問題はテストであまり出題されないから、できていないくてもなんとなくで進んでしまう。すると今度は方程式の文章題で、それから比例と反比例の文章題で…と、ずっと「できない分野」が繰り返し出てくることになる。
だから、なんとかこの段階である程度は食らいついておきたい。そう思って指導している。まずは具体的な数字などに置き換えて考える訓練からだ。
よし。いいカンジ。
小学生が100マス計算に取り組んでいる。
目標タイムを設けて達成出来たら、かけ算、足し算…と進んでいく。昨日挑戦した子は目標には届かなかったけれど、タイムを10秒以上縮めた。こういう時は私も嬉しくなる。
そりゃあその日の体調や何かのタイミングでタイムは伸びたり縮んだりはするだろう。でも「速くなりたい」と思って取り組まなければ結果は出ない。今回はその気持ちが伝わる取り組みだったと思う。こういう些細な向上もちゃんと見ておきたい。その子には、「やったね!」と伝えた。
ムムゥ。
最近、教科書を持ってくるのを忘れる生徒が多く気になる。
以前も書いたのだが、教材や勉強道具は自前のものを使うように。自分が持っていないものは塾のものを使えばよろしい。だが、筆記用具などは自分のものにこだわるべきだし、教科書も自分のものを使うべきだと考える。
道具は普段から使い慣れたものでなければ本来の力を発揮できない。マラソン大会の日に新しい靴をおろす子はほとんどいないだろう。プロのテニス選手は試合に何本かの自分のラケットを持ち込む。試合中ガットが切れてしまったときに、「ワリィ。ちょっとキミのラケット貸してくんない?」なんて言わないのだ。やはり自分の手(足)に馴染んだ道具を使うべきだ。特に教科書は、自分で書き込みをしたりしてカスタマイズしていくこともあるが、塾からの貸し出しだとそれができない。「君のもの」ではないからだ。他人のものを使って集中して勉強なんてできまい。
なんとなく、一連の
「教科書忘れたので貸してください」
の中に、「学校から持ち帰るのがだるい」という空気を感じたので再び掲載する。生徒の教材忘れの多さは、その子の成績と反比例していることも指摘しておく。
小学生の頃までに塾などで暗記の練習をしっかりやって来なかった子は、中学に入って定期テストの結果でそれが発覚したりする。
そのだいたいは勉強で「反復練習」をしたことが無い場合だ。そういうときは繰り返し練習することを指導する。
しかし先に書いたように効果的な反復ができない子は、逆に反復回数を減らすように指導することもある。
「3回しか書いちゃダメだからね。それまでに覚えてね」
これは反復すること自体に意識が向いている場合に、それを本来の目的に軌道修正させる方法だ。無駄な作業で時間を使わないようにして効率よく勉強していく練習になると思う。
昨日の雨はすごかった。
昨日は生徒たちを帰宅させてから、さらに一段と雨が強くなった。しばらくしたら弱まるかなと思い教室で待っているうちに眠くなり眠ってしまった。
外で何やら放送が流れていると思って目覚めたら避難誘導だった。時刻はてっぺんをまわっていて、なんとなく事態は深刻だと感じた。雨は依然として弱まる気配も無かった。とはいえ、室内にいて直接的な危険は感じないのでそのまま待つことに。
結局午前3時過ぎになんとか外に出られるかなという状況だったので、合羽を着て帰宅。途中道路が冠水していたり、用水路の水面が溢れそうなほど上がっていたり、どこかの家の庭の物が水で道路まで流されて散乱していたりはしたけれど問題なく帰宅。
今日は打って変わり良い天気。道路の冠水もほとんどなくなっていた。日本のインフラってすごい。いつか春日部にある「地下神殿」、首都圏外郭放水路の見学ツアーを申し込もうと思った。
経験。
運動部の高校生が大会を終え部活動を引退した。そんな時期だ。
聞くと、
「1点差で負けて悔しい」
という言葉が出た。それだけ一生懸命やっていたということだよね。もちろん同情はするのだけれど、聞いていてなんだか羨ましくなった。
自分自身、1点を争うようなヒリヒリした場面にはもうずいぶん長いこと身を置いていない。「悔しい」という感情は日常的に感じるのだけれど、それは内省的なものが多く、またその取り扱いにもずいぶんと慣れてしまった。言葉に出す「悔しい」はめっきり減った。
その生徒には、早く次の「悔しい」を見つけて、人生をどんどん豊かにしていってもらいたいなと思う。
中1の子がこれをどう読めと?
中学生の英語の学校のワークに100語程度の読解問題が載っているんだけど、あれはやめたほうがいい。
生徒の取り組み方を見ていると、ほとんどの子が解答になる部分「だけ」を見て問題に答えている。その理由は、あえて難しい単語を多用しているからだと思う。まだ習っていない単語がバンバン出ていて、下にたっぷり注釈が載っている。本文と注釈を何度も往復して英文を読み進めるの、私だったら嫌になっちゃう。なんとなく知ってる単語だけを拾ってあとば自分で予想して訳すみたいな、英語のできない子を量産してしまいそうな気がする。これは変な癖が付くよー。
「英語のシャワーを浴びる」的な素敵なサムシングがあるのかも知れないけれど、少なくとも「英文を読んで問題に答える」ということにはなっていないんだよな。定期テストが近くなったらとりあえず一緒に訳しているけれど、英語がそこそこできる子たちでもこれだから、有効に活用できていない子って結構いるんじゃないかなって思う。どうだろう。
冷たい対応。
生徒に対して「まだまだ認識が甘いな」と感じることはままある。
例えば「見直しはしました」と言うのに採点するとケアレスミスだらけの答案だったり、「できました」と言うのでチェックしたら全然ボロボロの暗記だったり。「テストの目標順位」に対する実際の振る舞いだったり。
「そんなに甘くはないよー」
とは思うのだけど、それを直接言ってもなかなか届かない。そういった言葉は本人の実感にはならない。だから失敗して悟らせる。塾には失敗する場を与える役割もあると思う。
こういうときの私は意地悪だ。「ショックを受けろ」「へこたれろ」「悔しがれ」と思っている。そして実感しろ、と。だから認識が甘くてうまくいっていない子には冷たく感じられるかも知れない。こういう時はフォローの言葉もかけないからね。
でも本番を迎える前に経験してほしいんだ。本気でなんとかしようと思った子しか変われないのだから。
大雨だー。
今は大雨だ。来るときも降っていたけれど、先ほどからさらに雨脚が強くなった。
こりゃあ自習に来る子はほとんどいないかな。授業で来るときも、状況を見て、難しければお休みってこともあるかも知れない。風はそんなにないんだけど雨がね。
暗記がなかなかできない子には、
「頭の中に文や単語を浮かべて、それを読んだり書いたりして」
と伝えたりもする。時には、暗唱する文章を全てホワイトボードに書き出して、それを部分的に消しながら、消したところを補って繰り返し読ませたりもする。昔流行った「おさかなプレート」とか「ゴースト暗算」みたいな感じだ。
暗唱する文章や暗記する漢字や単語を「見ながら」何度も書いている子がいる。これは効果が薄い。テストでの知識は頭に写し取ったものを紙面に再現することになる。その「頭に写し取る」というのを暗記作業ではやってもらいたいのだ。見ながらやっても知識が頭の中に滞在する時間がほとんどなくてすぐに抜けてしまう。
頭の中を見ながら読んだり書いたりすることに慣れてくると、頭の中に教科書のページがそのまま写真のように残るようになる。
自分で動いていける術を。
生徒を「待ち」の姿勢にさせてはいけない。
一人の生徒を教えている時、他の子は各自自分の課題に取り組んでいる。この時に動いていない生徒がいてはいけない。全員が何かしらプラスになる活動を。これには本当に気を遣う。
しかし生徒によっては「止まって」しまう子もいたりする。ただサボって止まっているだけならば、睨みひとつで解決なんだけれど、本人の能力的にどうしようもなくてというのもたまに発生する。これをどうするかという試行錯誤を続けていて、最近ひとつヒントを見つけた。次から試してみようと思う。
動けなくなった子に対して、「できないものはやらせず、生徒の『すでに』分かっているものをやらせる」というのが個別指導の現場で良く見たありがちなパターン。「全員が『分かっている』ものとして本当は分かっていないサイレントマイノリティは無視して進む」のが集団指導のパターン。そのどちらでもない、そういう子でも能力が向上する指向性を持たせたい。どの学力層の子でも「自分で伸びる」ことができるように試行錯誤は続く。