中3の2学期期末テストの範囲表がもう出ている学校もある。なのでテスト範囲表を持って来てくれた子に合わせて教室内のカウントダウンも始めている。期末テストまで残り20日、3週間を切った。あと3週間で受験に持って行く成績が決まってしまう。
定期テストで成績が上がる子とそうでない子の分かれ目はこの時期からテスト勉強にきちんと身が入るかどうかだと思う。生徒の学力段階には差があるので一般化するのはちょっと大雑把な話かも知れないけれど、塾の生徒の勉強の様子を見ているとだいたいそういう傾向にある。今までの成績に変化が見られるのがここから準備を始めた子。多くの学校でテスト範囲表が配られるのが2週間前。それまで何もしないでいると同じような結果に終わる。
もちろんこの時期の受験生の場合は毎日勉強しているはずなのでこの限りではない。ただし受験生であっても、毎日勉強をしている子が更にブーストをかけるのがこの時期だ。そうすれば競争が激しくなっている今でもまだ成績は上げられる。次の日曜には北辰テストもあるが、どちらも手を抜かず全力投球で頑張っていこう。
「効率」ばかり求めると成績の伸びは鈍化すると思っている。無駄だと思うことにも養分はあるからだ。
学校のテストなどで満点やそれに近い点数を取る子は、総じて雑学の量が豊かだ。全く関係無いところで身に付けた知識などが問題解決のヒントになることも多い。少し話がブレてしまうかも知れないが「よくそんなこと知ってるね!」とある子に言ったら「ゲームに出てくるアイテム名で身に付いた」と言っていた。言われてみれば私もテレビやしょーもない本を読んでいたおかげで知った漢字や表現などもある。回り道で拾ったガラクタにも見えるものこそが本道のライトアップにつながるのだ。
そんな考えだもので「学校で習ったものだけ」とか「テスト範囲のページだけ」みたいな勉強をしようとする子を見ると大変残念に感じる。特に咎めることはないが、それではテストで満点は絶対に取れないよ、と心の中で思っている。もちろんその子の学力段階で、あまり手を広げすぎないほうがいい時期というのはある。そういう時は私が指導の中で範囲を絞っている。
だが自分の裁量に任された勉強をするときに「ここだけ」と自ら限定してしまう生徒は、どこかで知的好奇心の弱さを感じてしまうし、そんな勉強していても「つまらないだろうな」と思ってしまう。これがたまらなく残念だ。この子にとって、本当の学びは勉強の中には無いのだろうな、と。ただの手段としての勉強。そんな無味乾燥なものを毎日摂取していると思うと悲しくなってしまう。
学力的に優秀な学校は知的好奇心旺盛な子が集まっている。自分の好きなことはとことん追求しようとするし、自分の好きなもの以外にも面白さを見出そうとする。自分もそんな子たちに囲まれた学校生活を送りたければ、勉強でもっと遊ぼうとしておいたほうがいい。サプリメントみたいな、手段としての勉強でそんな学校に行ったって、周りの子の肥えた知的好奇心の舌にはついていけない。
ある指導の結果、姿勢が受け身になってしまっている子というのがいる。こういう子の成績が下がってきて塾なとに通う場合、2つの学力を回復させる方法があると考える。
1つは、生徒が本来持つ「自学の力」を呼び起こして自分で学力を回復させ成績を上げる方法。そしてもう1つは、受け身の姿勢のまま塾に成績を上げてもらう方法だ。
前者は弊塾が取っている方法だが、後者の方法について考えてみたい。近隣の公立中学校ではガイダンスを行って、入学前の小学6年生に「毎日『学年+1時間』の自学をするように」と伝えている。中1ならば1日2時間、中2なら3時間、中3なら4時間だ。実際にできている生徒は多くないだろう。弊塾で実際にこれをやっている子は確実に成績が上がる。
だからこの学習時間を塾の指導時間で補うことになるだろう。集団講義だと受け身のままで自学にならないから個別指導でこの時間の指導を依頼することになる。安く見積もっても相場は1時間3000円円くらい、中3で毎日4時間×週6日とすると週24時間、月96時間。ざっと月額28万8千円也。大学受験の場合は自学の時間が2000時間は欲しいところ。高3からやると1日6時間、中3生の1.5倍か。いい商売だ、やろうかな。月43万円くらいなら我が子のために出してくれる親御さんもいるかも知れない。これくらい指導時間をもらえたら結構どんな子でも成績を上げる自信はあるのだが。
まあ、こんなの当然現実的ではない、冗談はおよしなさいということだ。やはり魚を取ってあげていてもどこかで必ず破綻する。だから魚の取り方を教える必要があるんだ。
私の経験上、中学受験を経て中学や高校で成績が下層の子、集団塾(個別指導塾でも)で高校に行き高校でやはり成績が下がってしまった子などはだいたい受け身、「やらされてきた勉強」の姿勢のままだ。そういう生徒が弊塾のスタイルに乗れるまでには結構時間がかかる。ずっと神輿に担がれたままで足腰が完全に弱っちゃってるからね。
だからそこからリハビリしていく必要があるのだけれど、だいたいこういう場合親御さんのほうが我慢しきれない。1年経たないくらいですぐ辞めちゃう。もしかしたらそれまでの成績が、子供が自分で地面を蹴って走っていたものと思われているのかも知れない。ガリガリの我が子の足を直視しないで「もっと速く走れるようにならないんですか?」と言っているようで見ていて心が痛む。
中学生の中間テストの結果が返却されている。まだの生徒は返却されたら見せてください。
新しく入塾した子も含めて、今の所点数は上昇傾向にあるようだ。1学期との比較だと粗点は下がっている生徒もいるが、平均点からの乖離は大きくなっていれば順位は上がっているだろう。
これは別に弊塾の指導がすごいとかそういうのではなく、生徒が勉強する環境に身を置いて出した結果に過ぎない。綺麗事を言うつもりはないが、生徒が元々持っていた力を出しているだけだ。反対に言うと、それまでやっていなかっただけ。または力を上手に出せていなかっただけ。
弊塾ではその力を発揮するための環境作りをしている。力を効果として発揮するための回路がつながっていない状態をつなげるための環境。
自学力向上を目指し、それゆえ放任主義をとってから自分が生徒を伸ばしているという思いが希薄になった。昔講師のアルバイトなんかをしていた時はそんな自意識バリバリだった。「あいつは俺が合格させてやった」みたいなね。しょーもない。そんなこと考えている暇があったら生徒が伸びる方法をもっと考えるべきだった。今はそれを実践している。
中学生の2学期中間テストがボチボチ返却されはじめている。中3生から返却された答案を見せてもらっているが、今見ている限り理科は全員が90点オーバーだった。
まあ良い成績の子は早く見せに来る傾向があるものなので、あくまで今の所は、である。とはいえなかなかの好成績なんじゃないか。他の科目でも90点以上の答案が続々と集まっているので、受験生としての底力が発揮されてきている。やはり結果を出すのは日々自習に来て勉強している子たちだ。
さて、定期テストの結果を持ってきた生徒には「テスト直し」をするように伝えている。伝えてはいるのだが、効果的にできる生徒とそうでない生徒がいる。その線引きは「次同じ問題が出たら絶対に正解できるようになる」かどうかだ。
ただ正解を見て「あー分かった分かった」では絶対に次も間違えるし、これではテスト直しの意味が無い。だったら次の範囲の勉強でもしたほうがマシだ。こんなぬるいやり方ではなく、自分が間違えてしまったことを悔いて、次は絶対に間違えないと思えるかどうか。定期テストの直しは徹底的に自分を「打つ」作業だ。それができる子だけが、次のテストで結果を変えていける。
中学生は中間テストが終わったところ。答案・個票が返却されたら塾に持って来てください。
定期テストが終わった直後の授業ではそれまでの復習や少しハイレベルな内容などを行う。テスト勉強をしてきた状態の頭は知識を吸収しやすくなっているし、生徒も定期テストへ注力していたこともあって予習が進んでいないこともある。だからそれを考慮してやる内容を決めている。
昨日は受験生に入試問題の少しハイレベルな英文を読んでもらった。文法の学習が一通り終わっている子は次は長文読解の練習だ。今文構造を読み解く練習を多く積んでおくことは、冬以降の英語の得点力アップにつながる。
難関校の入試問題の英文は公立高校の英文とは少し違う。単語を知っていても文構造が複雑で訳しにくいものが入っている。これは構文解釈の練習にもってこいだ。ホワイトボードに英文をピックアップして文構造を分解しながら訳す練習を行った。学校で習う内容だけでは入試に対応できない科目もある。そこを補って伸ばしていくのが塾の役割のひとつである。
本日で中学生の2学期中間テストが終わった。塾生の出来はどうだったろうか。
テストは終わったが生徒の勉強は終わらない。本日も教室を開けるなり受験生が勉強に来て頑張っている。常に一定のペースで勉強が続けられる生徒は伸びる。そういう子はテストの前後で行動が変わるなんてことはない。
昔働いていた塾ではテスト前に授業の「前倒し」というものがよく行われた。テスト当日夜や翌日の授業をテスト日の前に移動させて行うのだ。保護者の方から申し出てくることもあれば、塾の方から提案してしまうこともあった。
それでその効果はというと、まあ全く意味は無かった。結局テスト前って授業をやることよりも生徒本人の勉強のほうが大切だからね。意味があるとすれば、保護者に対する手厚い指導の「ポーズ」が取れるってことくらいか。生徒の勉強時間を奪っておいて何が手厚いなんだかと今では思うが、勉強のことをあまり知らない親御さんには喜ばれた。
今は授業の前倒しはしない。そんなもので上下しちゃうテストの点数って実力なの?って思うからだ。せいぜいテスト直前の授業ではテスト科目の勉強に付き合ってあげるくらい。過去に成績上位だった生徒たちはテスト前日の授業でも休むことなく普通に受けにきている。そしてテスト範囲外のことであってもきちんとやり遂げるし、こちらが何かテストのことで手伝ってあげようとしても「大丈夫です」と断ってくる。
つくづく、一定のペースで勉強できていることの強さを思い知らされる。
「行動の差は覚悟の差」という言葉を見つけてドキリとした。
今でもまだまだ腰が重くもっと軽やかにありたいと思っているが、私は行動のできない子供だった。絶対にこうしたほうがいい、こっちのほうが後悔しないと分かっていても動き出せなかった。ほんの些細なことから自分の人生に関わる重大なことまで、結局他人任せにしてしまったことが多く、ぞれは今でも後悔している。あの頃自分に足りなかったのは確かに「覚悟」だったと思う。
これ以上行ったら後戻りができないというラインを踏み越えられない。変化することが怖い。バランス良くあろうとして結局小さくまとまっていた。変化することへの「覚悟」、これが行動の差を生むのだと思う。
「塾に通う」ということ。それは学習面において、今までと同じではいられないということだ。なんとなく親についていってそのまま入塾となったから通ってるだけ。そんな気持ちでは何も変わらない。本当の意味で塾に通ってはいない。覚悟が無い限り成績に変化など起こせない。さあ、君にはその覚悟はあるか。
明日から中学生は2学期の中間テストが始まる。
本日を含めこの3連休をどのように過ごしたかが結果にモロに出ることだろう。
自習に来ている生徒の勉強の様子を見ていると、まずまずの仕上がりを見せている。私は聞かれない限りこちらから勉強のアドバイスをすることはあまりない。だから生徒の勉強の仕方はそれぞれ異なるが自習に来ている生徒の勉強内容はだんだんと似通ってくる。
まずはワークを周回するようになる。その合間に漢字や英単語などの暗記ものを覚えて塾の問題集を解く。プラスアルファできる子は教科書を読み込んだりしている。何も特別なことはない。手元にある教材をやるだけだ。
ギャーギャー騒がず、次々新しいものに手を出したりもせず、粛々と目の前のものに取り組む。ちゃんと勉強できるようになってくると、みんなこのパターンになっていく。教材なんて基本的にどれも一緒。しかしその習熟レベルに差があるだけだ。そんな私のイズムを受け継いでいるのかどうかは分からないけれど、結局当たり前のことを当たり前以上にやれる子が伸びる。
世間は3連休だがもくせい塾は通常通り営業している。中学生の2学期中間テストまで残り3日だ。今日から部活動も停止期間に入っているはずである。受験生は当然すでに教室に来て勉強を始めているが、他学年の生徒はまだまだ集まりが悪い。やむを得ないことでもあるが、これが意識の差ってやつだろう。
テスト2週間前から1日5時間勉強している生徒と全くしていない生徒、その差はこの2週間だけで70時間。定期テストは年間4,5回。少なく見積もっても年間280時間の差が生まれるということだ。こう考えるとどうだろう、それでもまだ
「効率の良い勉強法」
なんてものを求めようとするだろうか。もう断言してしまってもいいかも知れない、初めから効率を求めようとする人は勉強をしたことがない人だ。こうしたところで蓄積の差をどんどん広げられているのにそこには目を向けず、受験が近くなってから「勉強のやり方が分からない」とか言っちゃうのは「楽して稼げる仕事」を探すようなものだろう。確実に前に進む勉強のやり方は、「今、この瞬間」から問題集を開いて解き始めることだ。まずは日々の生活の中から積み上げていくこと。これに勝る「効果的な勉強法」はない。
教室の机にカンニングの跡が残っていた。
机の端に小さな字で英単語が書いてあった。そこに座った生徒の子が見つけるまで全く気付かなかった。単語の内容的には中3かなぁ。字体を見るにおそらく今年の生徒のものではないと思う。消えずに残っていた。
もちろんカンニングは不正行為だけれど、私は「見つけたら注意する」くらいの感覚でいる。やっちゃいけないことくらいみんなさすがに分かっているし、それをしたときの代償を支払うのは自分自身だ。弊塾で行っている単語テストは公平なものであって公正なものではないので、そのあたりの責任は自分で負ってもらいたい。
変な話に聞こえるかも知れないが、実はそういう不正行為も「経験」だと思っている。もし今カンニングをして目の前のピンチを切り抜けたとしても、
「あの時ズルしちゃったな…」
という後悔の念が心に残ればそれはやがて「徳」になるはずだ。次に同じシチュエーションになったときに正しいほうを選ぶ指針になってくれればいい。反対に自分の行った悪徳をすぐに忘れてしまってそれを繰り返すようになってしまったら救いようがないが。もしもやるなら罪悪感はしっかり感じていなくてはダメだ。
完全に清廉潔白な人なんていないはずだ。
だから今のうちに清濁併せ呑んでおいて、「ルールだからダメ」という戒律の言葉によってではなく、自分の中の正義の言葉に従って動ける人間になってほしいと思っている。心の中に後悔の澱がたくさんたまっている人は、その分だけ正義を振う力を持てるはずだ。
あ、だからと言ってカンニングを肯定するつもりは更々無い。もし見つけたらブチ切れるのでそこんとこはよろしく。
怖い話だが、テストの結果はそれが実施される前にある程度予想できてしまう。定期テストなら1週間前にはほぼ当てられるし、3日前にはそれは確信に変わる。現在中学生の中間テスト直前。私の中では予想がある程度出ている。今回は受験生の中に大きく成績を伸ばしてくる子が1人いるかな。その逆は...置いておく。
その判断基準となるのが、通塾頻度とその過ごし方だ。成績が大きく伸びる子は通塾頻度が高くなる。毎日来るようになったりする。これがマストであって、その上学習の密度が高い。この2つがそろうと成績アップのリーチだ。そして授業内でテスト対策問題を解かせた時の出来具合が良いと、それが確定へと変わる。
反対に通塾頻度が下がった、自習室でやっている内容が薄くなったという場合はほぼ確実に成績が下がる。自宅で学習できないから塾に来るわけで、塾への向き合い方がそうなれば当然の結果だよね。塾から施す指導は何も変わらない。変わるのはいつも生徒のほうだ。
そんな経験を持ってしまっているから、「あ、この子今回成績が下がるな」と感じた子には先手を打って「もっと勉強しなきゃダメだよ」というメッセージを出すのだが、難しいのが、直接言ってもなかなか伝わらないことだ。感情に負けちゃってる状態だからね。
なので実際に問題を解かせて、思っていたよりも自分ができていないことを実感させる。そうすると「ヤバいかも」と思える子は結構いる。しかしこれも必ずそうなるわけではなく、今回何人かの生徒に行ったのだが果たして結果は変わるだろうか。
昨日はさすがに我慢できなくなってしまい言った。自習室で居眠りを繰り返している生徒がいることについて。全体に向けてね。
昨日話した内容は
・居眠りはそれを見ている後輩に悪影響を及ぼす。正直恥ずかしい。
・眠いなら自習室には来ないでほしい。
の2点かな。要は「自習室では居眠りしないでください」ということなんだけれど、こう伝えてもあまり刺さらないと思ったので少しだけ本心も交えて話した。
以前も書いたが、教室内でつい眠くなってしまうことは誰にでもあるだろうしそれは仕方ない。だが居眠りは癖になる。ダラダラしてしまう癖は周りにも悪影響を及ぼす。そういった意味で、弊塾の自習室に居眠りする生徒はいらない。
それなりに伝わったのか、その後身に覚えのある生徒が謝りに来た。また、この後の授業は非常にピシッとした空気になってしまった。みんな必死に問題演習をやってしまっていて、正直「なんだかなぁ」と思った。何か言われないと出ない必死さなんて借り物だからいらないのに。
謝りに来た生徒に、私は「全体に言ったことだから別に君が謝る必要は無い」と伝えた。これに対しては半分嘘だ。いや、嘘と言うより本当に大切なことを話してはいない。
本当の思っているのは、そんな謝罪しても「もう取り戻せないよ」ということだ。ダラダラと居眠りをしていた時間、それはもうどうやったって戻ってくることはない。そういう意味ではその子はもう「支払ってしまって」いるのだ。私のご機嫌を伺っている暇があるのなら1問でも問題を解いてここからの時間を無駄にしないようにしたほうがいい。受験まで残り140日なんだから。
さて、ここまでの話が私の経験談で、これらから学んだことや今の弊塾での対応を記したい。
まず、提出の必要に迫られてから「ワーク失くした」と言う生徒は勉強に対するプライオリティが非常に低い。このままでは成績は絶対に上がらない。失くしたことをテスト期間、それも塾でやらされることになってからやっと言い出すということは、失くしたことに気付いていないか、気付いていたとしても自分で対応しようとしなかったわけだ。それは「誰かがやってくれる」という他責思考の表れだ。まずはここを改善し、勉強を自分事と捉えられるようにならなくては学力アップの段階に入ることができない。
だから、こんなことで塾があれこれと汗をかいてはいけないと考えるようになった。塾は学習サービス提供の場であって、育児サービスは提供していない。それを手取り足取りどころでなく、手足そのものとなってやってあげてしまっていてはいつまでも子供に成長はない。
中国では一人っ子政策時代に「小皇帝」という言葉が生まれたそうだ。甘やかされて育てられ、自分が特別な存在であると思っている人のことだ。塾の生徒を小皇帝にしてはいけない。いや、私がやっていたことは小皇帝どころか、「小神様」だったのかも知れない。足が汚れてはいけないと、神輿から降ろすことなく目的地へ運ぼうとする。授業料という「ご利益」のためにそんなことをやっていたかと思うと、申し訳なさと恥ずかしさで死にたくなる。
弊塾では「○○失くした」に対して一切関知しない。「ワーク失くした」「へーそれは大変だね」である。まず失くしたからどうなんだとすら言えないのは、文字通り「話にならない」。そこでアドバイスを求められればコピーの話くらいはするかも知れないがコピーを用意してあげることもない。テスト範囲40ページほどのコピーを行うのは1時間程度かかる。貴重な講師の人工をそんなことに割けない。
そして失くしたことをちゃんと「叱る」。自分の人生に関わる進路、その為に必要な道具を無くして何も思わないのでは成長しない。ましてやそれを臆面もなく「なんとかしろ」とばかりに言ってくるのは成績を上げる上げない以前の問題だ。叱る、そして反省を促して再発防止に努めさせる。だからこれで辞めていく生徒も結構いた。以前、学校の教科書も持って来ず塾のものを毎回借りていて、私が作って与えていた板書ノートも「失くした」とケロリと言ってきた生徒にブチ切れだことがあるが、その生徒は翌週辞めた。
おかげさまで現在弊塾には神様はいない。みんな追い出しちまったからね。今は現世利益のために努力する人間だけの集団になっている。神様になりかけていた生徒もいたが、人間界に引きずり下ろした。今ではその子も足の裏は真っ黒だ。
さて、テスト期間中に自ら動こうとしない生徒のお世話に奔走する講師たち。その講師たちへ頭上より振り下ろされる
「ワークを失くした」
の一撃。もうオーバーキルである。
それでも健気な我が同胞たちはどうしていたか。まずは本当に無いのかの確認だ。もう一度自宅と学校、そしてカバンの中を探させる。探して来るよう伝え翌日、すぐに動かない子もいるので翌々日、さらに次の日としつこく結果を聞き、本当に無いようならば他の子から借りたワークのコピーを取って渡し、とりあえずそれで進めさせる。その際
「学校の先生に正直に失くしたことを言ってコピー提出の許可を得るんだよ」
と伝える。ただしこれは生徒が実際にやるかどうかはもう分からない。塾が代わりに学校に電話を掛けてお願いすることはできないからだ。学校の先生もそんなの戸惑うだけだ。
その後ちゃんと提出したかの確認を一応はするが、全員「出した」とは言う。だがもうお分かりの通り、その真偽は通知表が出て学校の保護者面談があり、保護者の方が学校から事実を聞くまで分からないのだ。
こうして焦土と化したテスト期間も終わり、とりあえずあと塾でできることは、テストが終わったら新しいワークを手に入れるように生徒に伝えることだ。たまに学校の先生が配布した余りをくれる場合もあるが多くの場合は購入し直すことになる。購入ができない場合はコピー提出の許可をもらうしかない(→冒頭に戻る)。
ただし、この状況になった場合の生徒が新しいワークを手に入れて他の子と同じように勉強できるようになることはほとんどなかった。その前に
「塾に通わせているのに成績が上がらない」
と、その子の保護者から退塾を言い渡されてしまうからだ。こうして私たちの「ワーク失くした」に関わる一連の戦いは幕を閉じる。
今日の文章は、心ある保護者の方なら身の毛のよだつ話として最後まで読み進めることはできないかも知れない。
昔働いていた塾では、
「ワーク失くした」
と生徒が言うのをたびたび聞いた。
当時、定期テスト前に学校の提出物が終わっているか塾がチェックしていた。せざるを得なかったわけだ。今考えると恐ろしいが、それが塾の「面倒見の良さ」だと思っていた。今ならこれは大きな勘違いだと言えるのだが。
まず、テスト範囲の提出物が終わったかどうかも本人が把握できていない。だから生徒からの報告を待っていては埒が明かず、学校のワークを塾に持ってこさせ、私と担当講師でテスト範囲表を見てチェックしていた。なんとこの間、生徒は何もせず隣で座ってるだけ。
で、そういう生徒は自分ではやらないから授業外で塾に残して、手の空いている講師に頼んで隣に付いてもらったりもして期限に間に合わせるのだ。提出期限はテスト当日なことが多いので、テスト勉強の期間はそれだけで終わる。そして提出させるのが目標だから答えを写させたりするだけ。
今になって思う、これは一体なんの時間だったのか。誰も幸せにならないのは、少し考えれば、いや考えるまでもなく結果を見ればすぐに分かったのに。当時の私はバカだった。
この過程で冒頭の「ワーク失くした」というセリフを聞くのだ。もう笑えてくる。
今日から10月だ。今年も半分が過ぎた。
中学生の2学期中間テストまで残り2週間となった。テスト範囲把握の為、各学校の生徒はテスト範囲表が出たら教室に持って来て下さい。把握できない場合、こちらは「なんとなく」でやらざるをえない。生徒には当事者意識を持って行動してもらいたい。
テスト範囲の全てのワークが1周終わった生徒が出てきている。これがテストで良い成績を取る生徒の「標準形」だ。このくらのスピード感が無くては上位を目指すことなんてできない。もしもまだ何も手を付けていない生徒がいるならば、この瞬間から勉強をはじめなくてはならない。上位層とはすでにワーク1周分の差がついている。それまでの授業の受け方や日ごろの予習復習も含めればその差はもう絶望的だろう。
しかし今始めることができれば、明日始める生徒よりも1日分の差ができる。勉強は「今」始めるしかないのだ。今日も教室を開けるなり受験生を中心に生徒たちが続々と自習に来ている。差は開くばかりなのだから。